巨樹・大樹を訪ねて

大きな樹が好きです。
数百年もの間、日本人の営みを見守ってきた木々・・・人間の能力を超えた命に触れて元気をもらってます。
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「野の大クス」(群馬県桐生市)勝願寺の地蔵ケヤキ(栃木県鹿沼市)「野の大クス」(群馬県桐生市)「丸嶽山神社のこぶケヤキ」(栃木県佐野市)「神光寺の大カヤ」(群馬県邑楽町)「茂林寺の大サワラ」(群馬県館林市)「賀茂神社のスギ」(群馬県桐生市)「白髭神社のシラカシ」(群馬県桐生市)「横室の大カヤ」(群馬県前橋市)「赤城神社のたわら杉」(群馬県前橋市)「生品神社のクスノキ」(群馬県太田市)「浄蔵寺の大イチョウ」(群馬県太田市)「大通寺のケヤキ」(群馬県太田市)「反町館のクスノキ」(群馬県太田市)「本郷弓町のクスノキ」(東京都)「大雄寺のクスノキ」(東京都)「神宮寺の枝垂れ桜」(長野県軽井沢町)「熊野神社のシイノキ」(長野県軽井沢町)「諏訪神社の巨樹たち」(長野県軽井沢町)「風仙寺のカヤ」(群馬県桐生市)「日光神社のスギ」(栃木県足利市)「日枝神社のクスノキ群」(群馬県桐生市)「崇禅寺のイトヒバ」(群馬県桐生市)「金山の大ケヤキ」(群馬県太田市)「東光寺のモミノキ」(群馬県太田市)「大聖院のクスノキ」(栃木県佐野市)「植野小学校のスズカケ」(栃木県佐野市) 粟野のツボ子杉(栃木県鹿沼市)谷倉山神社の夫婦スギ(栃木県鹿沼市) 日光神社の豊年杉(栃木県鹿沼市)「熊野神社のスギ」(栃木県鹿沼市)「粟野のカヤ」(栃木県鹿沼市)日枝神社(栃木県鹿沼市)のスギ寄居のエノキ(栃木県鹿沼市)岩倉神社のスギ(佐野市)熊野神社のカヤ(佐野市)

<巨樹関連ニュース>

 巨樹・巨木に関するニュースを拾い読みしました。

■ 太さ全国2位カツラ巨木(山形県) 11月にツアー計画

(2015年7月18日:河北新報)

幹回りが19.35メートルあることが分かり、全国2位にランクインした山形県の千年カツラ
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 山形県鮭川村は、地元で「藤九郎沢の千年カツラ」と呼ばれる巨木を観光資源として売り出す。先月計測した結果、カツラでは全国2位の太さと判明した。11月にはトレッキングツアーを計画し、村の新シンボルとして天然記念物指定に向けた準備も進めている。 村職員らが6月10日、酒田市との境界に近い山中に入り、地上1.3メートルの幹回りを計測したところ、19.35メートルあった。環境省が公認する全国巨樹・巨木林の会のデータと照合し、2位に相当する記録と分かった。 存在は以前から知られ、村は「日本最大級のカツラ」として10年前にはトレッキングを主催した。林道から千年カツラまでは徒歩約20分だが、険しい山道の管理が難しかったため、ツアーは続かなかった。 昨年6~9月に県内で大型観光キャンペーンが展開されたことを受け、村は昨年9月、遊歩道を整備してトレッキングを再開。巨木の荘厳な姿に「村の宝としてPRすべきだ」との声が上がり、地元の巨木に詳しい新庄市の最上山岳会長坂本俊亮さん(63)とともに、計測調査した。 今回、2位の確認ができたことで、最上地方はカツラの全国トップ3を独占。1位は最上町の「権現山の大カツラ」(20.00メートル)、それまで2位だった真室川町の「高坂の大カツラ」(16.30メートル)は3位になる。 村にはアニメのキャラクター「トトロ」に似た杉の巨木「曲川の大杉」(村天然記念物)もある。11月1日に紅葉ツアーを予定する村産業振興課は「トトロの木のように自然豊かな村のシンボルとしてPRしていく。本年度中の記念物指定を目指す」と話す。

■ イヌザクラの巨樹見つかる 多紀連山「西ヶ嶽」の谷筋

(2015年5月14日:丹波新聞)
 多紀連山を形成する主要3峰の一つ 「西ヶ嶽」 (標高727㍍) の山中で、 「イヌザクラ」 の巨樹が見つかった。 幹周りが胸の高さの位置で4・35㍍、 樹高は約20㍍。 「ひょうごの巨樹・巨木100選」 の著者、 橋本光政さん (72) =姫路市=は、 「イヌザクラは、 県内はもとより、 全国的にも自生数の少ない木。 これまで県内一の大きさとされてきた神崎郡のイヌザクラ (幹周り2・78㍍) をはるかに上回っている」 と驚いている。

写真・多紀連山の西ヶ嶽山中で見つかったイヌザクラの巨樹(写真提供:樋口清一さん)
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 発見者は、 2008年に同山中で国内最大級のクリンソウ群生地を発見し、 保護活動を展開している 「多紀連山のクリンソウを守る会」 (樋口清一会長) のメンバー。  根元から約2・5㍍のところで十数本に枝分かれし、 それぞれの枝の直径は10数㌢から30㌢ほど。 樹勢は旺盛という。 発見場所は標高約550㍍の谷筋で、 この付近では4年前にも 「守る会」 が、 トチノキの巨樹を見つけている。  イヌザクラは、 バラ科の落葉高木でサクラの仲間。 国内では、 山形県・青森県以南に分布する。 里周辺で普通に見られるウワミズザクラと近縁種で、 白い小さな花がブラシ状に集まって咲く花の付き方がよく似ている。 名前の由来には諸説がある。 そのうちの一つは、 ウワミズザクラに似ているが異なることから、 「似て非なるもの」 の 「非・否 (イナ)」 から 「イヌ」 に転じたという。  鳥取や山口、 長崎、 佐賀県などでは絶滅危惧種に指定されている。 樋口会長らの調べによると、 篠山市内で、 自生のイヌザクラは、 川原集落の山中で1本 (幹周り約80㌢) 見つかっているだけという。 丹波市では自生の記録はない。  昨年秋、 「守る会」 のメンバー5、 6人が、 さらなるクリンソウの群生地を探し求めて山中を歩いていたところ、 イヌザクラの巨樹を発見。 そのときは、 イヌザクラかウワミズザクラなのかを判別できなかったため、 「来年、 花の咲くころにもう一度来よう」 とその場を後にした。  今月2日、 「守る会」 の樋口会長をはじめ、 石田莞爾さん、 細見隆夫さん、 酒井康夫さん、 津田博利さんの5人で再調査。 花はまだつぼみの状態だったが、 「イヌザクラは花だけが独立した枝に咲くが、 ウワミズザクラは花の下部に葉が付く」 ことから、 イヌザクラと判断。 8日には橋本さんも現地に出向き、 イヌザクラと判定した。  樋口会長は、 「宍粟市にあった株元幹周り約2・5㍍のイヌザクラの樹齢は約500年だったと聞く。 今回発見したものは、 それから計算すると1000年近くあっても不思議ではない」 と言い、 「これまでにもコブシやトチノキなど、 この地では珍しい木や巨樹を発見してきたが、 探せばまだまだお宝が見つかりそう。 篠山の自然は奥深い」 と話している。  東京・調布市にあるイヌザクラが国内で最も大きく、 幹周りは9・9㍍。

■ (各駅停話)古里駅 幕府が残した「巨樹」

(2014年12月5日:朝日新聞)

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枝を大きく広げる「小丹波のイヌグス」。根も地上から盛り上がっている=東京都奥多摩町小丹波

 古里(こり)駅のある奥多摩町は町域が秩父多摩甲斐(かい)国立公園にすっぽりと収まる。その町内には1千本を超える「巨樹」がある。巨樹とは地上1・3メートルの幹回りが3メートル以上ある木。その9割が町北部の日原(にっぱら)地域にある。 
 なぜ多くの木が巨大に成長できたのか。江戸時代に幕府の直轄領に置かれ、伐採が制限されたことなどが影響しているとされる。
 「巨樹」の響きから、山の奥深くにひっそりと立つ姿を思い浮かべるが、駅から歩いて5分足らずの線路沿いの斜面でも目にすることができる。
 「小丹波(こたば)のイヌグス」。樹齢は推定400年の常緑高木のタブノキだ。集落が「小丹波村」として開村した記念に植えられたと伝わる。2000年の町の調査で、幹周りは4・55メートル、高さは25メートルと判明。枝は高く大きく広がり、幹は人の筋肉のように盛り上がる。長い年月で形作った姿を見上げると、畏怖(いふ)の念すら抱く。かつて日本各地で巨樹を信仰した人々の気持ちも分かる気がした。
 「嫌なことがあっても、この木を見ると頑張る気持ちになれた。これからも大事にしていきたい」。イヌグスの生える土地を所有する原島正之さん(56)はそう話す。(松崎敏朗)

■ 石川の巨樹 伐採50本  保全団体400本調査(2013年8月27日:中日新聞)

要治療20本、新たに発見150本 費用に課題 「行政の支援も必要」

 石川県巨樹の会(浜野一郎会長)は、県内の巨樹二千三百五十六本のうち、十年以上状態を確認していない約千本を再調査している。これまで約四百本を調べ、五十本ほどが枯れて伐採されたことが判明。保全の難しさが浮き彫りとなった。治療が必要な木も二十本弱あり、行政などの財政支援も課題となりそうだ。一方、成長し新たに巨樹の基準を満たす木も約百五十本見つかった。(室木泰彦)
 会は、十年以上未確認の木が千二百本を超えたため二〇一一年度から再調査を始めた。山奥など簡単に行けない場所を除く約千本を対象に、一二年度末までに約四百本を調べた結果、寺社や個人所有の約五十本が枯れるなどして伐採されていた。同会は所有者にできる限り保全を求めているが、朽ちた幹や枝が落ちて近隣住民から苦情が出る場合もありやめさせるわけにいかず、保護対策の難しさを痛感させられている。
 また、伐採を免れても傷んだ木が二十本弱あった。今後樹木医の会員と治療法などを検討するが、費用工面のめどがなく所有者の理解が得られない場合は治療が難しい。同会は残り六百本も四、五年かけて調べる方針。治療が必要な場合は所有者の理解を得たい考えだが、先行きは不透明だ。

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旧県庁舎前の「堂形のシイノキ」として石川県内の巨樹のシンボル的存在となっている2本のスダジイ=金沢市広坂で

 一方、再調査の過程で、成長し新たに巨樹の基準を満たす木も百五十本ほど見つかった。現時点で巨樹は差し引き約百本増えた状態で、新たなリスト化も課題になっている。
 しかし、会の予算は不足。収入は一般会員の年会費三千円が主だが、会員数は約二百三十人(うち法人約二十)。専務理事の三浦敏夫さん(78)=金沢市=は「緑化運動などで苗木を植えるが、巨樹に育つまで膨大な時間がかかる。巨樹を守れば地域に根付いた緑を維持できる。可能な限り治療したいが、会負担が難しく所有者の理解が不可欠。それも難しい場合は行政支援が必要になる」と訴える。

県内に2356本 09年リスト

 石川県内では2009年3月の巨樹のリストが最新で、2356本を数える。市町別で多い順に加賀市445本、白山市360本、金沢市326本。所有者・団体別では神社1400本、寺院316本、公共施設313本、個人327本。85種あり、スダジイが最も多く579本、スギ509本、ケヤキ497本が続く。

スダジイ最多579本

 スダジイは金沢市広坂のしいのき迎賓館前の2本の「堂形のシイノキ」がシンボル的存在。国指定天然記念物で樹齢約400年、迎賓館に向かって右側が幹回り7.3メートルと大きい。
 巨樹の基準は地上1.3メートルの幹回り3メートル以上。同1メートル以上が基準の樹種もある。

石川県巨樹の会  1988(昭和63)年に環境庁(現環境省)が巨樹などの実態を把握する全国調査を実施。これに併せ、県内では巨樹の会が結成された。会長には、全国巨樹・巨木林の会会長、日本植物分類学会長など歴任した里見信生・金沢大教授(2002年6月死去)が就いた。一方、全国に先駆け、県内では78年から里見氏の指導で老樹や巨樹を調査し「石川県の巨樹」を発刊。2008年には会創立20周年記念で、新たな調査結果を加え「石川の巨樹・巨木林」を出した。会は調査協力者を募集している。

■ ねらわれる各地の「ご神木」(2012.11.26:NHK)

神社の境内に立つ、「ご神木」。地域の信仰の対象として大切にされ、中には樹齢数百年というものも珍しくありませんが、今、そのご神木が各地で不自然な枯れ方をするケースが、四国を中心に相次いでいます。
ご神木に何が起きているのか、松山放送局の大西由夏記者と田畑佑典記者が取材しました。

“ご神木が枯れた”

ことし7月に愛媛県東温市で、ご神木が枯れているのが見つかりました。
約1300年の歴史を持つ神社「総河内大明神社」の境内で2本のヒノキだけが枯れていたのです。
いずれも樹齢500年を超え、幹周りは4メートル前後の大木で、地元では当初、老木なので寿命で枯れてしまったのではないかと考えられていました。
ところが約1か月後、神社の管理を任されている地域住民のもとに、ある木材業者が訪ねてきました。
業者は「枯れた木は危ないから早く切ったほうがいい。自分たちが伐採して買い取ろう」と話したといいます。
ご神木を見守ってきた地域の人たちは慌てました。
“ご神木が倒れるかも”という懸念や“何とかしてあげたい”という思いに加えて、“自分たちには木を切リ倒す費用を出せるのだろうか”という不安もあったそうです。
地域で話し合った末に、2本のご神木を550万円で業者に売却する契約を結びました。

問題発覚“木に複数の穴”

しかし木の伐採直前に大きな問題が発覚しました。
木の根元に、直径5ミリほどの穴が複数見つかったのです。
不審に思った神社側が警察に相談すると、穴は人がドリルのようなもので開けたものだと分かりました。
さらに警察の捜査で、穴の中から除草剤に含まれる成分の一種、「グリホサート」が検出されたのです。
総河内大明神社の綿崎祥子宮司は、「そんな事をする人がいるとは、ことばにならなかった」と話します。

誰が?何のために?

ご神木は、誰が何のために枯らしたのか。
現場を独自に調査した愛媛県林業研究センターの豊田信行さんは、木材に詳しい人物が関わっていると推測しました。
根拠は木に彫られた穴の深さが4センチほどだったことです。
木は表面から4センチほどの部分に、根が吸った水分を運ぶ管が通っています。
穴はその管まで的確に掘られ、そこから入れられた除草剤が枝へと行き渡り、枯れたとみています。
このような方法をとると、枯れるのは葉や枝だけで幹の中心部に影響はなく、木材としての質は下がらないといいます。
県林業研究センターの豊田信行さんは、「効率的に薬を入れようとすれば、4センチ前後入れる。木を扱っている人々には常識的に知っている話です」と指摘しています。

広がるご神木被害

取材を進めていくと、ご神木が枯らされる被害は愛媛県内の別の神社でも起きていたことが分かりました。
この神社には以前からご神木を売ってほしいと複数の業者が訪ね、去年はご神木4本が枯れて2つの業者に売却されました。
これらの木でも同じような穴が見つかっていたということです。
さらにこうした被害は愛媛県だけにとどまらないことも分かってきました。
NHKの取材では、不自然な枯れ方をしたご神木は四国を中心にここ10年で、少なくとも25本に上っています。

業界の内幕“かつては九州でも”

相次ぐご神木の被害。
木材業界の事情に詳しい人物に話を聞くことができました。
この人物によると薬剤で木を枯らす手法は持ち主に木を手放させるためのもので、かつては九州などでも見られたということです。

大木は高値で取り引き

ご神木にいったいどれほどの価値があるのでしょうか。
取材班は、奈良県にある大木を専門に扱う木材市場を訪ねました。
国内では木材価格が低迷していますが、直径1メートルを超えるような大木はほとんど出回らず、高値での取り引きが続いていました。
奈良県銘木協同組合の林秀樹課長は「去年売れた中には一本単価で600万、700万という木もあった。もっと太いものになればさらに価値がある」と話しています。
質のいい大木は、歴史的建造物の再建や文化財の修復などで常に一定の需要があります。しかし国産の大木はすでに多くが伐採され、もはや神社や寺の境内にしか残っていないといいます。

難航する捜査

警察の捜査は難航しています。
枯れた木から検出された成分を含む除草剤は市販のもので誰でも手に入れられることから、枯らした人物の特定は容易ではないとしています。
また目撃証言などもありません。
私たち取材班も多くの関係者に重ねて取材しましたが、最初にご神木の伐採と買い取りを持ちかけた木材業者を含め、いずれも不正への関与を明確に否定しました。
何者かの手によって枯らされた愛媛県東温市のご神木。
契約では年内に伐採されることになっていますが、神社側は一連の経緯が不透明だとして、伐採に「待った」をかけています。

足りない木材・どう守る日本建築

一方で、社寺仏閣の大修理や再建に使う大木が国内にはほとんど残っていないという悩ましい問題もあります。
国宝の阿修羅像で知られる奈良県の興福寺では現在、江戸時代に焼失した「中金堂」という建物の再建工事が進められていますが、国産ではなくカメルーン産の木材を輸入して使っています。
今回のご神木を巡る騒動は、世界に誇る日本の木造建築を今後も守っていくことができるのかという、大きな問題も投げかけています。

■ この罰当たりめ!ご神木に除草剤注入して「枯れた樹危ない。買い取る」と業者(2012/12/26:J-CAST)

 樹齢数百年の神社のご神木を次々と狙う罰当たりな事件が四国を中心に多発している。愛媛県東温市の総河内大明神社の境内にある樹齢500年以上というご神木2本が、枯木と診断され26日(2012年12月)伐採される。綿崎祥子宮司によると、2本のご神木の根元にドリルようのもので5、6か所の穴が開けられていたので調べたところ、直径5ミリ深さ4センチの穴から除草剤が検出されたという。
 宮司は「悲しいを通り越して、悔しいとか空しいとか言葉にならない」と憤る。近隣住民も「このお宮さんは、あの2本のご神木で持っているようなもの。ご神木がなくなるなんて考えもしなかった」と嘆く。

愛媛、高知など四国各地で頻発

 罰当たりの犯行は総河内大明神社だけではなかった。やはり愛媛県の西条市にある大宮神社でも昨年4本のご神木が枯れて伐採された。十亀博行宮司は「葉っぱだけ見ると寿命なのかなと思ったが、木の根っ子に穴が開いていることが分かり、なんと罰当たりなことをするものだと思いましたね」という。
 2つの神社に共通していたのは、ご神木が枯れるタイミングを見計らって木材業者が現れ、「枯れた樹は危ない。自分たちが伐採し買い取る」とご神木を引き取っていったことだった。事件は高知県でも頻発しており、ここ数年でご神木以外の木を含めて14件が確認されている。
 枯れたご神木を調査している日本樹木医会高知県支部の藤本浩平博士は、「養分を木の中へ送るのは縁の部分4センチのところで、そこに除草剤を注入されると2~3か月で枯れる」という。

樹齢数百年の大木―希少価値で高値取引

 背景には樹齢数百年の大木は木材として非常に貴重で、とくに信仰の対象であるご神木となると、台風で倒れでもしない限り伐採されることはない。希少価値のため、寺や一般建築で根強い人気があるという。
 コメンテーターの萩谷順(法政大教授)は「養分を送る樹皮の裏側に除草剤を入れれば、樹の真ん中はしっかりした状態が残る。それを知っているプロの計画的犯罪で、罰が当たるといいなと思う」と顔を曇らせる。
 神社は樹齢数百年のご神木も含め、日本人の心のふるさとである。ここまで落ちたかと残念でならない。

※ 四国で頻発している御神木枯れ死事件・・・どうやら犯人は金に目がくらんだ木材業者のようですね・・・天罰(地震/津波)が下らなければいいけど・・・。

■ 樹齢800年のスギに感動 島根・隠岐に残る巨樹の森 太古の自然、官民で守る

(2012/10/31:日本経済新聞) 大山隠岐国立公園には迫力のある巨樹の森が点在する。なかでも隠岐諸島の島後にある「自然回帰の森」は常緑樹のスギと落葉樹のカツラが混生する全国有数の巨木林だ。地元の人々が守ってきた天然林は豊かな自然遺産の一つだ。 自然回帰の森は島後の主峰大満寺山(標高607メートル)が鎮座する東部の山中にあり、広さは約15ヘクタール。樹齢200年を超えるスギだけで800本以上あり、樹齢が400年に達し幹回りが6メートル、高さ30メートル超と、鹿児島の屋久杉に匹敵する巨樹もある。駐車場からきれいな遊歩道が整備され、10分も歩けば巨樹に出会える。ゆっくり周遊して30分だ。 スギの人工林は密植が多く、間伐されずに放置されている場合、樹冠の上部が空を覆い昼でも暗く下草がほとんど生えない。だが、ここはスギの間にカツラなど広葉樹が多く、広く薄い葉が太陽の光を通し明るい。シダ類など下草も十分に育ち、虫や鳥が多く生息する。 これまで世界遺産の白神山地や屋久島など日本有数の森を見てきたが、太いスギとカツラが混生する森を見るのは初めてだ。隠岐観光協会前専務理事の武田匡さんは森のある旧布施村(現隠岐の島町)出身。「村の財政が苦しいときも切ろうとの声は上がらなかった。大切にしたい森」としみじみ語った。
樹齢800年、乳房杉の根はものすごい迫力96958A96889DE6E5EAE4E0E7E4E2E1E2E3E2E0E2E3E0979EE382E2E3-DSXDZO4786257030102012EL1P01-PB1-12.jpg
 島を回るうち、驚きは感動に変わった。森の近くにある樹齢800年の「乳房杉」は乳房状の根が垂れ下がる形だ。スギは太平洋側の表杉と日本海側の裏杉、九州の屋久杉の3種類あり、裏杉は雪の重みで枝が折れないよう横に伸び途中から上を向く性質がある。枝が太く重いと地面につき、そこから根を生やし新しい株になる場合がある。 乳房杉も枝が垂れ下がったものと思い、武田さんに聞いた。「これは根。土石流で土が流されてしまったのです」。根がある場所は地上5~6メートル。地球をわしづかみにしたような巨樹の根の強じんさに感嘆した。

■ 1位は縄文杉、2位は… 神秘的な巨樹ベスト10

(2012/8/19 日本経済新聞)
 幹や根の迫力、枝や葉の美しさ。季節がかわれば、花の香りやどんぐり拾いも楽しめる。そんな巨樹巡りを楽しむ人が増えているという。見ごたえがある全国の巨樹を専門家に選んでもらった。

1位 縄文杉(鹿児島県屋久島町) 284ポイント

 巨樹の中の巨樹 日本を代表する巨樹で、スギの中では世界最大級。推定樹齢には幅があり、芯の部分は未調査で確定していない。
 「見る者を威圧する重量感、ごつごつしたいくつものこぶが盛り上がって波打つ樹肌、上に『超』をいくつもつけたくなる巨樹の中の巨樹」(渡辺典博さん)、「自分の足で歩き、会えたときの感動は忘れられない、声も出ず自然と涙が出た」(長沢典子さん)、「ほかにも大王杉やウィルソン株など屋久島全体が巨樹ワールド。新芽も元気良く育っている。命あふれる森」(岡山瑞穂さん)
 7200~2600年前、25.3メートル、16.1メートル、麓の荒川登山口から歩いて往復約10時間。

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2位 縁結びのカツラ(北海道乙部町) 253ポイント

 連理の枝で人気 縁結びの神が宿ると信じられ、全国各地から良縁を得ようと多くの人が訪れる。上部に枝と枝が合体した「連理(れんり)の枝」があり、一層の人気に。地元では明治のころ、力自慢の漁師がこの木を切り倒そうとして、斧(おの)を振り上げたと途端、急に力が入らなくなり、切れなかったという説話が伝わる。周辺は森林公園として整備されている。
 「美しい巨樹には何百年という風雪に耐えてきた風格がある」(平岡忠夫さん)
 500年、27メートル、6.6メートル(大きい木)、函館から車で1時間40分、徒歩15分。

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3位 北金ケ沢のイチョウ(青森県深浦町) 211ポイント

 1本で山のよう 世界最大級のイチョウ。生育状態がよく、枝張りは直径20メートルもある。枝は空気中の酸素などを取り入れる気根として下に伸び、一部は地面に突き刺さる。乳房に似ていることから全国各地で子育てのご神木として信奉されているが、ここはまるで鍾乳洞のよう。イチョウの原産は中国ともいわれ、日本には平安~鎌倉時代のころに移入されたといわれる。火災に強いことから寺社などに多く植えられたという。
 「1本で山のような木」(渡辺典博さん)、「圧倒的な迫力」(高橋弘さん)
 1000年、40メートル、20メートル、五能線の北金ケ沢駅の西にある。

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※ 8位以外の写真は渡辺典博氏提供

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4位 蒲生の大クス(鹿児島県姶良市) 208ポイント

 日本一の巨樹 幹回りで最も太い「日本一の巨樹」(環境省調査)として町ぐるみの保存運動が活発。1500年、30メートル、24.2メートル、九州自動車道・姶良ICから車で約10分。

5位 称名寺のシイノキ(宮城県亘理町) 187ポイント

 巨大な樹冠 シイノキでは日本最北の巨樹。枝が絡み合って四方に伸び、巨大な樹冠をつくる。700年、14メートル、10.2メートル、常磐線・亘理駅から徒歩約10分。

6位 命主社のムクノキ(島根県出雲市) 163ポイント

 生命力感じる根 根が地上に露出する「根上がり」が岩を抱え込んですさまじい生命力を感じさせる。1000年、17メートル、5.8メートル、出雲大社から徒歩約5分。

7位 首里金城の大アカギ(那覇市) 136ポイント

 戦災逃れた守り神 戦争でほとんど焼失した沖縄の首里城周辺のアカギで生き残った守り神。200~300年、13メートル、5.6メートル、ゆいレール首里駅から徒歩15分。

8位 安久山の大シイ(千葉県匝瑳市) 125ポイント

 背丈ほどある板根 根の上側が板状に伸びて幹を支える「板根」が人の背丈ほどの高さまである。不明、25メートル、10メートル、総武本線・八日市場駅から車で20分。

9位 薫蓋樟(大阪府門真市) 118ポイント

 境内覆う枝張り 枝がうねるように張り神社境内を覆う。幹から伸びる枝の太さが圧倒的。1000年、25メートル、12.5メートル、京阪電鉄門真市駅からバス20分三島下車。

10位 言問の松(北海道豊富町) 113ポイント

 風雪に耐える孤高 サロベツ原野に風雪に耐える孤高の姿で立つ北限の巨樹。地元の人々の守り神。1200年、14メートル、4メートル、宗谷本線・兜沼駅から車で約5分。

10位 杉の大杉(高知県大豊町) 113ポイント

 天突く勢いの幹 根もとから北と南に分かれた太い幹を伸ばす。2本合わせた根回りは36メートル。2000年、68メートル、15メートル(南の大杉)、土讃線・大杉駅から徒歩20分。

■圧倒的な迫力・美・香り

 環境省の調査では、目の高さの幹回りが3メートル以上の巨樹は全国に約6万8000本あるという。その中で、1位の縄文杉は見る人を圧倒する重量感、2位の縁結びのカツラは独特な枝の連なりなどが評価された。

 ランキングの樹木のほかにも特徴が際立つものは数多い。熊本市の「寂心さんのクス」は枝の端から端まで約60メートルもあり、「枯れている枝が無く、樹形のバランスは日本一」(高橋弘さん)。根の迫力では、熊本県菊池市の「村吉の天神さん」(イチイガシ)は根上がりがジャングルジムのように入り組んで「おどろおどろしいインパクト」(本間良二さん)がある。高知県土佐清水市の「石抱アコウ」は「無数の石を抱き込みながら成長している」(蟹江節子さん)という。

 巨樹の多くは信仰や伝承を通じ人に守られ伐採を免れてきた。現在も多くの巨樹で地元の人々が保存活動に取り組む。東京都杉並区の「トトロの樹」(ケヤキ)はマンション建設で伐採されるところ、住民が保存を求める署名運動を展開。最終的に区が土地を購入し「坂の上のけやき公園」として整備した。

 震災の被害が大きかった岩手県の三陸地方にも巨樹は多く、杉原梨江子さんは大船渡市の「大船渡の三面椿」や「三陸大王杉」などを挙げた。

 全国の巨樹の情報は「全国巨樹・巨木林の会」のホームページなどが詳しい。また、巨樹を見学するときには最低限のマナーを守りたい。例えば、巨樹の周りに柵やロープが張ってあったら絶対に中に入らないこと。倒れたり枯れたりした巨樹は多く、根回りの土を踏むだけでも悪影響を与える場合がある。

  ◇  ◇  ◇  

 表の見方 数字は選者の評価を点数化。最後に推定樹齢と樹高、幹回り、アクセスを掲載。

 調査の方法 全国各地の巨樹・巨木に詳しい専門家に、誰でも交通機関を利用したりハイキングで歩いたりして見に行けて、樹高や幹回りだけではなく、巨樹の迫力とエネルギーを感じることができる木を、順位を付けて選んでもらった。選者は次の通り(敬称略、五十音順)

 岡山瑞穂(樹木医)▽加瀬直弥(国学院大学専任講師)▽蟹江節子(ライター)▽杉原梨江子(巨樹研究家)▽染野豊(東京ローン・サービス社長)▽高井研一郎(漫画家)▽高橋進(全国巨樹・巨木林の会会長)▽高橋弘(巨樹写真家)▽長沢典子(自然観察指導員)▽永瀬嘉平(ナチュラリスト)▽平岡忠夫(巨樹画家)▽本間良二(スタイリスト)▽渡辺典博(巨樹写真家)

■ 巨木フォーラム、常陸太田で開幕 住民討論や児童ミュージカル 

(2011.10.30:茨城新聞)

 第24回巨木を語ろう全国フォーラム茨城・常陸太田大会が29日、常陸太田市中城町の市民交流センターで開幕し、約600人が参加した。校庭の桜をテーマに小学生が創作ミュージカルを上演し、パネルディスカッションで地元住民らが意見交換した。30日は巨樹巡りツアーが4コースに分かれて行われる。
 主催者を代表して大会実行委員長の大久保太一市長は、東日本大震災に触れながら「皆さまから元気を頂き、復興への大きな力としたい」と歓迎あいさつ。日本樹木医会会長で茨城支部長の中村澄夫さんをはじめ、県内で活動する県西巨樹・古木の会など各団体が成果を報告した。
 市立瑞竜小の児童55人が創作ミュージカル「命の輝き〜瑞桜(ずいおう)とともに」を上演。校庭中央にあるシンボルの桜「瑞桜」を主題に、子どもたちは四季の移り変わりと約80年の歩みを、歌と踊りで伸び伸びと表現した。
 パネルディスカッションでは大会副実行委員長の川上千尋さんらが意見交換。川上さんは「巨樹の根っこに見る力強さから多くを学びたい」などと、巨木に対する特別な思いを語った。
 大久保市長が大会宣言を読み上げた後、来年の開催地である青森県の関係者に大会旗を引き継いだ。
 このほか、ひたち巨樹の会の会員が県内の巨樹などを紹介する写真を展示。フォーラムに先立ち、全国巨樹・巨木林の会の総会も開かれた。

■ 130歳ケヤキの下で音楽会 2014年閉校の福岡・千手小児童

(2011.10.30:朝日新聞)

 福岡県嘉麻市の千手(せんず)小学校で28日、校舎に寄り添うように立つ樹齢約130年のケヤキの下を会場にした音楽会があった。同校は、2014年開校の嘉穂小学校に統合され、閉校することが決まっている旧嘉穂町の5小学校の一つ。「ケヤキとの思い出をいっぱい作ろう」と、初めて企画された。
 時折、小雨が降る中、1~6年生の児童58人がケヤキの下に集まった。保護者や地域の住民が見守る中、1992年に当時の在校生が作詞した「けやきのうた」を歌った。学校の愛唱歌として、今でも校歌と同じように慕われている。
 歌の合間に6年生がケヤキの思い出を語った。梶嶋菜月さん(12)は、運動会の練習で疲れたときのことを思い出しながら、「木陰を作ってくれてありがとう」と木に呼びかけた。山本秀平くん(11)は、野球でヒットが打てなかったときのことを思いながら、「嫌なことがあっても木の下に寝転がると、ほっとした」と振り返った。
 ケヤキは、現在地に校舎が移った1903(明治36)年に植えられた。
 当時は直径10センチ程度だったが、今や直径4・6メートル、高さ20メートルの巨木に。台風で枝が折れ、弱った時期もあったが元気を取り戻し、市の天然記念物にも指定されている。地域のシンボルとして愛され、県外から卒業生が帰省し、木を見上げている姿が時折見かけられるという。
 閉校後もケヤキは残される方針だが、学校全体の跡地利用は、まだ決まっていない。溝口和代校長は「閉校までにケヤキとの思い出を多く作れるよう、毎年、音楽会を続けられたら」と話している。

※ 樹齢100年程度でケヤキの直径が4.6mになることはあり得ないので、「幹周」の間違いと思われます。

■ 樹齢600年大モミの切除に賛否 おおい、倒木危険で苦渋

(2011年10月17日:福井新聞)

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<幹上部の切除などの工事が行われる大モミ=福井県おおい町岡安の依居神社>

 福井県おおい町岡安の依居(えこ)神社にある、樹齢600年とされる大モミ(県指定天然記念物)が、強風などに見舞われた際に倒木する可能性が高まっているとして、同神社は17日、幹上部の切除と、切除部分の保護などの工事を始めた。木の切除は地元の氏子、町、樹木医らが検討を重ねた末の苦渋の決断。切除が木の生存にどの程度の影響を与えるかは現段階では不明だが、氏子たちは「何とか生き延びてほしい」と願っている。(野田勉)
 大モミは、923年創建とされる同神社の境内にある。高さ約40メートル、根回り約11メートル、目通り(目の高さの太さ)約6メートルで、全国的にも有数の巨樹とされる。1969年に県天然記念物に指定された。
 幹は、80年ほど前に実施した幹の切除や、腐朽菌の侵入などの影響で、高さ約30メートルの部分で芯(しん)材が空洞化し、現在も腐朽が進行している。地元の要請を受け、樹木医の池上成志さん(れいなん森林組合)が2008年、大型クレーンを使って空洞に樹脂を詰めるなどの回復措置を施した。
 しかし昨年末、大雪の重みで付近の枝が落ち、空洞が一気に広がった。強風などで空洞部分から幹が折れる危険性が高まったため、木の世話をしてきた氏子たちが今年8月、町に保護を要請した。
 その後、町教委や樹木医などが対策を検討。工事では、大型クレーン2台を使い、空洞部分から上部10メートルほどを切除する。切除した部分にステンレスの保護板でふたをするなどの処置を行う。11月中旬ごろに完了する予定。総事業費は333万円で、県と町が約90%を補助する。
 氏子総代の石橋司さん(63)は「神社とともに歴史を刻んできた木が切られるのは寂しい。しかし、参拝客や神社境内で遊ぶ子どもらの人命、拝殿の損壊などを考慮し、苦渋の決断をした」と話した。
 一部の氏子からは幹を切ることに否定的な声も上がったが、町教委は「樹脂を詰める方法なども検討したが強度に問題があり、倒木の危険性は高いまま。木の保護という観点から検討した結果、切除はやむを得ない」としている。切除後の生存については「現段階では何とも言えない」という。

■ 樹齢1900年、大楠の下で音楽会 福岡、千人うっとり

(2011.10.16:朝日新聞)

 福岡県築上町の国指定天然記念物「本庄の大楠」で15日夜、コンサートが開かれた。推定樹齢1900年、高さ約25メートルのクスノキの下にステージを設置。生演奏を楽しみに集まった千人を超す観客は、クラリネットや弦楽器が奏でるクラシック音楽などに耳を傾け、秋の夜長を満喫していた。

■ 巨木を訪ねて(2011年10月〜朝日新聞茨城県版)

〈1〉常陸太田のカシ 「お宝」斜面が守る(2011年10月06日)

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<関公平さん(左から2人目)宅の裏山にあるカシの巨木=常陸太田市赤土町>

 9月、常陸秋そば発祥の地として知られる常陸太田市赤土町に車で向かった。
 地元産を味わえる「そば工房」を通過し、突き当たりを左折。舗装されているが、車がすれ違うのがやっとの細い山道を西金砂(かな・さ)神社に向かって進む。中腹の高台にある関公平さん(89)の家で車をとめた。
 お目当てのカシの巨木は関さん宅の裏山にあった。斜面にしっかりと根を張り、踏ん張っている。幹の部分は空洞だが、根から出るひこばえ(若芽)が支え、長く伸びる枝も近くのカシの若木に支えられている。イソギンチャクを思わせる形の幹と、千手観音のように四方八方に広がる枝ぶり。宮崎駿アニメ「となりのトトロ」に出てくる光景を連想させるため、関さんの長男の公樹さん(60)は、自分の娘が幼いころ、「トトロ
の木みたいだね」と語りかけた思い出もある。
 「ひたち巨樹の会」代表の川上千尋さん(77)によれば、斜面に生えたことが、巨木になった一因という。水はけがよく、日当たりはほどほど。強風から守られて、静かに樹齢を重ねてきた。
 公樹さんも母、八千代さん(84)も幼少時、樹液を好奇心からなめてみた。「甘かった」と口をそろえるが、なぜか、今はお目にかかれない。
 存在が知られるようになったのは2年前。「身の回りの資源で元気のある地域に」。こう考えた地元の人らが「お宝」探しに歩き、発見。万畑(まん・ばた)と呼ばれるこの土地のいわれなどを記した看板を立てた。
 治承4(1180)年、金砂城にいた佐竹氏を源頼朝が攻めるとき、万本の旗を立てて陣を張ったことから、万畑と呼ぶようになったとされる。そのころに生えた木だという。

〈2〉取手のケヤキ 子育て地蔵包み込む(2011年10月07日)

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<幹の空洞に安置された「子育て地蔵菩薩」=取手市下高井の高源寺>

 境内に向かう一本道に、子どものお地蔵さんが並ぶ。数えると、6体も。地蔵が身につけた真っ赤な毛糸の帽子と、よだれ掛けが、モノトーンの景色を彩る。近所から都内へ嫁いで久しい年配の女性が今夏、新調したという。
 取手市北西部の高源寺。山門をくぐると、苔生(こけ・む)した境内に石畳の細い参道が続く。
 「樹勢回復中 柵の中に入らないでお参り下さい」
 こんな立て札が目に入った。柵の内側には、ケヤキの巨木がそびえ、その幹の根元にポッカリ開いた円い穴から地蔵の後ろ姿がのぞく。紅色のヒガンバナを眺めながら正面に回り込むと、今度はもっと大きな穴、というよりも洞窟の入り口のような高さ約7メートルの空洞が現れた。
 幹の中心部がなく、分厚い外皮が祠(ほこら)のように地蔵を雨風から守っている。幹の表面は淡い緑、内部はこげ茶色だ。昨夏の猛暑の影響か、今年の葉は2センチ余りと小ぶりだ。
 言い伝えによると、空洞は寺が火災にあったときに焼けてできたらしい。いつからまつられているかは定かでないが、「子育て地蔵菩薩(ぼ・さつ)」と親しまれ、「空洞をくぐり詣でれば安産あらたか」。菅井大典(だい・てん)住職(61)は「江戸期の過去帳をひもとくと、当時は子どもの死亡が多かった。安産と健やかな成長を願ってまつられたのでしょう」。
 いまも、子宝を願う夫婦や、その親、「無事出産」を伝える参拝者が時折訪れる。
 ケヤキの樹勢について、菅井住職は「危篤の一歩手前」と心を痛める。十数年前から根元を何度も掘り返し、土壌の改良や施肥による「手術」を繰り返してきた。太い鉄柱の「松葉杖」が枝を支える。

〈3〉桜川のスダジイ 菩薩宿る伝説の霊木(2011年10月08日)

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<石垣の上から参道に覆いかぶさるように立つスダジイ=桜川市本木の楽法寺>

 筑波山や加波山に連なる雨引山(409メートル)の中腹にある楽法寺(雨引観音)。つづら折りの道を登って、最も上の駐車場から続く参道で本堂に向かう。すぐさま、石垣の上から覆いかぶさるように太い枝を伸ばして青々と茂るスダジイが目に飛び込んできた。
 石垣と石垣の間の狭い斜面に根が身をくねらせる。見る者を圧倒する太い幹にはところどころ小さなうろ(洞)があり、枝を切り落とした跡も。幹にはしめ縄が張られ、根元はきれいに掃き清めてあった。
 木の前に「宿椎(やど・じい)」の石碑が立っている。
 寺によると、1472年に戦乱で本堂など諸堂が焼失した際、本尊の延命観世音菩薩(ぼ・さつ)が自ら光明を放ってこのスダジイの下に避難して難を逃れた。火が消え軍兵が引き揚げたのち、集まった信者は本尊の無事を涙を流して喜んだとの言い伝えから、本尊が宿った「宿椎」とも呼ばれるようになったという。
 木の近くで幹に目を凝らすと、手の届く範囲の樹皮の間やわずかなくぼみに一円玉が挟み込まれているのが見える。楽法寺の宇留野聖澄(しょう・ちょう)事務長は「挟んでいる人を目の当たりにしたことはないが、泉に硬貨が投げ込まれるように、何かを願ってのことでしょう」と話す。
 安産、子育てに御利益があるとされ、桜やアジサイなど四季折々の花の名所としても親しまれる。その境内に鎮座する霊木「宿椎」もまた信仰の対象であり続け、平日でも訪れる人は絶えない。

〈4〉鉾田のイスノキ 代官の木衰え知らず(2011年10月12日)

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<田口寛さん宅の庭の片隅にあるイスノキの巨木=鉾田市勝下>

 鉾田市内の国道51号から海側へ入った勝下(かつ・おり)地区。車1台が通るのがやっとの路地を進むと、すぐ分かった。イスノキだ。濃い緑を帯びて、そびえ立つ。
 枝から緑色の実のようなものがぶら下がり、地面には小さな穴の開いた巨大な柿のようなものが散らばっている。「体長3ミリほどの小バエのような虫が葉に卵を産みつけ、卵が大きくなるにつれ緑色の球になる」と所有者の田口寛さん(71)。
 緑色の球は「虫こぶ」といい、虫が羽化して出た後は殻になって落ちる。虫こぶに含まれるタンニンは染料に用いられ、この殻に息を吹きかけると笛のように鳴るので「ホーホーの木」とも呼ばれる。
 木の前の看板には「主として伊豆地方以南、沖縄、中国大陸に分布し、本県では非常に珍しい」とある。史料によると、水戸光圀(1628~1700)が諸国から移入した草木にイスノキも含まれる。田口さんは「このへんにいた代官が植えたと伝え聞いている。昔は男の子のたまり場で、私も毎日のように木に登って遊んだ」。妻の喜美子さん(66)は「木が虫を育てているみたいだが、ご近所から苦情が来たことはありません」と話す。
 4年前、専門の業者に剪定(せんてい)してもらった後、田口さんは初めて枝を切ろうとしたが、のこぎりでは歯が立たないほど堅かった。机や椅子といった家具の材料に適していることなどが名前の由来のようだ。
 根から分かれたらしい幼木が庭のあちこちに顔を出している。樹勢は衰えを知らないようにみえる。「木の周囲をもう少し手入れして、木陰で2人がくつろげるようにしたい」。そう言って、田口さんはイスノキを見上げた。

〈5〉御岩山の三本杉 成長続け横綱の貫禄(2011年10月13日)

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<幹が3本に分かれている地表約3メートルあたりには昔、天狗(てんぐ)がすんでいたとされ、「天狗杉」の別名も=日立市入四間町>

 御岩(お・いわ)神社の鳥居から社殿に向かう緩やかな坂道を70メートルほど歩くと、周囲と比べひときわ大きな杉の木が右手にあった。
 2000年、林野庁の「森の巨人たち百選」(巨樹・巨木百選)に県内で唯一選ばれた「御岩山(さん)の三本杉」。県内の巨木を撮り、神社の近くに住んでいた関右馬允(う・まの・じょう)(1888~1973)の文庫版「常北之山水」(筑波書林)には、「県下巨杉番附(ばん・づけ)の三役格である」と記されている。しめ縄を巻いた巨木を目の当たりにすると、横綱に思えてくる。
 地上約3メートルのところで幹が3本に分かれているところから、その名がついたとされるが、3本の幹が成長するにつれて根元が一体になったという説もある。専門家に聞いても、はっきりしないという。
 三本杉と並ぶ名物が、参道約300メートルに数百株植えられているシャクナゲだ。黄金週間のころに咲き乱れる。例年、春から初夏にかけ、登山客と合わせ数万人が訪れるが、今年は東日本大震災の影響でいつもの年より少ないという。御岩神社の大塚真史宮司(43)は「今年は花芽が多くて、訪れた人に喜んでもらえると楽しみにしていたのに」と話す。
 創建の時期は不明だが、江戸時代、神仏習合の山として信仰を集めた出羽三山を水戸藩が勧請(かん・じょう)(請い迎えてまつること)し、栄えた。明治維新の神仏分離令で撤去された仏像類は地元の人が大切に保管。20年前に再建された仁王門に金剛力士立像が安置されている。神仏習合の伝統行事「回向祭(え・こう・さい)」が15、16の両日開かれる。

〈6〉常陸太田のケヤキ 濃い緑精気を放つ(2011年10月15日)

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<若宮八幡宮の大ケヤキ。訪れた人は思わず仰ぎ見る=常陸太田市宮本町>

 常陸太田市の中心部にある若宮八幡宮を、「ひたち巨樹の会」代表の川上千尋さん(77)の案内で訪れた。10段ある階段を上がると、ケヤキの巨木が目と鼻の先に現れた。巨象のようにどっしりとしていて、風に揺れる葉は緑が濃い。
 木陰に一歩、足を踏み入れた。日差しは和らぎ、疲れがとれるような気がした。周りにはロープが張られ、立ち入りが禁じられている。このため、近くに立つ別の巨木に「『精気をもらうんだ』と言って、抱きついていく参拝客もいます」と若宮八幡宮の和田忠彦宮司(69)。
 巨樹の精気を受けながら足腰を鍛えるという「健康体操巨樹ウオッチング」を、川上さんが披露した。
はじめに腰を下ろして根の張り具合を確かめたら、万歳をするように両手を上げて上の枝を仰ぎ見る。次に視線を落として再び根を見たら、相撲の四股を踏むような体勢をとる。最後に深呼吸をする。これを3回繰り返す。
 若宮八幡宮は、この地を本拠とした佐竹氏の代々の祈願所だった。佐竹氏が今の秋田県に国替えした後、水戸光圀が命じて太田郷(常陸太田)の鎮守にしたという。
樹勢は一時、衰え、葉の緑色もあせた。そこで、樹木医に治療を依頼。1996年、日立市の造園会社が空気や水の通りがよくなるように土壌を改良。再び元気を取り戻した。
 3月11日の大震災で鳥居や狛犬(こま・いぬ)、石碑、歌碑が軒並み倒れた。和田宮司は、境内にあるすべての樹木の枯れ枝がほとんど落ちたことにも驚いた。「そのためでしょうか、今年はケヤキの緑が濃く、いつもの年より状態もいいようです」(成田認)
 樹齢約640年。幹回り約11・4メートル。県指定文化財。常陸太田市宮本町。市中心部の鯨ケ丘商店街の北側にある常陸太田郵便局前から西側へ歩いて2、3分。約30台分の駐車場がある。問い合わせは市教育委員会文化課(0294・72・3111)へ。

〈7〉太田一高のソメイヨシノ(2011年10月18日)

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<太田一高野球部の島根修二監督は高校時代、このソメイヨシノの傍らで練習に励んだ=常陸太田市栄町>

◆選手の姿 見守り続け

 1900年、旧制水戸中学(現・水戸一高)太田分校として開校した太田一高。正門やグラウンド付近に、ソメイヨシノとしては県内でも屈指の古木が約20本ある。創立の頃に樹齢5、6年の若木を植えたものだという。
 根を張る幹の表皮は、灰緑色に浮き上がってみえる。ウメやサクラの古木に生育するウメノキゴケの類いとみられる。木のこぶも目立つ。幹の内部は空洞で、根元のひこばえ(若芽)が支えている。
 ソメイヨシノは、98年に学校の近くに専用の野球場ができるまで約1世紀にわたり、さまざまな運動部の選手を見守ってきた。
 野球部は、同校の創立とともにつくられた。監督の島根修二教諭(48)は野球部のOB。79年4月の入学して間もないころ、野球部に入るかどうか迷った。高校で通用するか、期待と不安が交錯した。
 桜吹雪が舞うなか、1週間、三塁側にあった大きなソメイヨシノの下で練習を見学。当時の監督に強く請われて入部を決めた。
 1年の秋に正選手になったが、体調を崩し、3週間ほど入院。2年生の春、満開の桜を見て、「『よしやるぞ』という気持ちになった」という。
 2年夏の選手権茨城大会には5番一塁手として出場。準決勝で、優勝した江戸川学園に敗れた。2年の秋からはエースに起用され、投打の柱を務めたが、3年の夏は3回戦で敗退した。
 日本樹木医会の中村澄夫会長(68)=那珂市=の指導のもと、2010年、同校のOBが中心となり、「太田一高の桜を守る会」(仮称)を結成。調査の結果、空気が根のまわりに行きわたりにくくなっていることが分かったため、今後、土壌に空気を送り込むなど保護対策をとる予定だ。

〈8〉里美のセンノキ 旧道の目印ひっそり(2011年10月19日)

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<中野林平さん(背中)の案内で薄暗い旧道を行くとセンノキが目に入った=常陸太田市小菅町>

 雨上がりの国道349号を常陸太田市に向かった。里川沿いの田畑のあぜをヒガンバナが彩る。
 その巨木は、旧里美村小菅町と旧水府村東染町の中間点、つづら折りの旧道が残る明神峠(境峠)へと続く掘割のそばにひっそりと立っていた。地元の人に親しまれて久しい「明神下のセンノキ」だ。
 3本の太い根を砂岩にはわせ、幹は勢いよく真上に伸びている。シデの葉に覆われ、木漏れ日がわずかに差す暗い森の中。存在感が際立つ。
 舗装された車道からそれた旧道には落ち葉や小枝がたまっている。通る人はほとんどいないが、1940年代までは小菅町と東染町や天下野町を結ぶ生活道路だった。山道を長ければ十数キロ、重い農作物を担いで歩いたという。当時の人の健脚ぶりに驚かされる。
 案内してくれた小菅町の中野林平さん(74)も小学生のころの遠足で、この旧道を歩いて峠付近の「日輪兵舎」と呼ばれる軍事と農業の実習場に足を延ばした。中野さんが通った賀美小学校から日輪兵舎までは約6キロ。子どもたちはセンノキが見えると、「兵舎は近いぞ」と勇んで歩いたという。
 センノキはハリギリとも呼ばれるウコギ科の落葉高木。トゲがある枝と手のひら状の葉っぱ、黒褐色で荒くひび割れている木肌が特徴だ。
 やわらかく水分を多く含むため、炭にすると小さくなる。炭焼き職人は、釜いっぱいに詰めたはずのセンノキが焼き上がると泥棒に盗まれたかのように目減りするため、「ドロボウノキ」と呼んだ。
 若芽はタラの芽のように食用になる。中野さんによるとタラの芽よりも香りが強く癖になる味という。

〈9〉つくば・一ノ矢の大ケヤキ(2011年10月20日)

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<枯れてもなお威厳を保つ「一ノ矢の大ケヤキ」=つくば市玉取>

■枯れても なお存在感

 つくば市の県道「学園東大通り」から脇道に入り、50メートルほど進む。ケヤキやスギ、カシなどの巨木に囲まれた「一ノ矢八坂神社」が目にとまった。
 1960年代から開発が始まった研究学園都市地区にあるが、創建は貞観年間(859~877年)にさかのぼる。社名は、田畑を荒らす3本足のカラスを退治しようと矢を放った場所という逸話にちなむ。何十本も生い茂る高さ20メートル以上の木々が、いっそうの威厳を与え、最先端科学の研究機関がそばにあることを、しばし忘れさせる。
 県指定文化財の本殿の南側に、枯れて白くなりながらも、圧倒的な存在感を放つケヤキが立っている。「一ノ矢の大ケヤキ」の愛称で長く親しまれてきた巨木だ。
 木の根元には、子どもなら5、6人は入れそうな高さ3メートルほどの空洞が。50年ほど前までは、小学生の登下校の際の格好の遊び場だったという。宮司の高田重明さん(76)は「かくれんぼや秘密基地ごっこ。なかには、火遊びをする子もいて、先代の宮司によく怒られていました」と話す。
 91年の環境庁(当時)の調査で県内3位の巨木と認定されたが、95年9月、台風で幹の上部約20メートルが倒壊。99年には枯死(こ・し)が確認された。
 樹木医らの調査の結果、下水道工事などで根が傷み、徐々に樹勢が衰えたことが原因と分かった。以前から対策の必要性を指摘する声はあったが、多額の費用に神社も行政も二の足を踏んでいた矢先の「死亡宣告」だった。
 「所有者が施す対策だけでは限界がある。もっと木に関心が高まり、みんなで保護しようという動きになってほしい」と高田さん。枯れた巨木が、巨木保存のシンボルになることを願っている。

〈10〉延命院のカヤ(2011年10月22日)

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<平将門の胴塚を抱えるように立つカヤ。胴塚には絶えず花が手向けられている=坂東市神田山>

■将門の胴塚 根が守る

 坂東市と常総市にまたがる菅生沼(すが・お・ぬま)を望む台地に延命院がある。夕暮れ時、落ち葉が敷き詰められた境内を歩く。
 不動堂の屋根伝いにリスが大木に跳びうつった。カヤの木だ。隆々とした筋肉のような太い幹がまっすぐ伸び、枝葉が空を覆っている。
 このカヤの根元にある小さな円墳は胴塚・将門山。平安時代の武将・平将門の胴が埋められていると伝わる。カヤの根は胴塚を抱え込むように力強く張っている。坂東市出身の歴史研究家、染谷洌(きよし)さん(73)は「長きにわたってカヤが、盗掘から胴塚を守っていたんでしょう」という。
 反逆者のイメージがある将門だが、古文書などからは民から慕われる英雄の側面も見えてくる。
 未開の地だった坂東を中心に、鉄製の農具の鋳造や治水、農地の開墾に取り組んだ。だが、関八州(かん・はっ・しゅう)を支配する勢力拡大が朝廷への反逆とみなされ、天慶(てん・ぎょう)3(940)年の合戦で流れ矢を受け討ち死にした。首は京都に送られたが、残った胴は家来がひそかに延命院に埋め、目印にカヤの木を植えたとされる。
 将門は生前、一本のカヤをくりぬいてつくった丸木舟で水上交通の支配権を握っていた。「将門の象徴としてカヤを植えたのでは」と染谷さん。神田山(か・ど・やま)という地名は、将門の「からだ」がなまってつけられたとも言われる。
 周りには、36年前に東京・大手町の将門首塚から移された石塔婆(せき・とう・ば)や赤い頭巾姿の地蔵がカヤを見守るように立っている。武に秀で心優しかったという将門をしのび、団体客を乗せた観光バスも時々、立ち寄る。胴塚に手向けられる花々は絶えることがないという。(石倉徹也)
 ▽樹齢は定かではないが、「1千年を超える」(歴史研究家の染谷洌さん)とみられる。幹回り3・6メートル。坂東市神田山715。関東鉄道常総線「北水海道駅」から車で20分。駐車場約20台。坂東市天然記念物。問い合わせは市商工観光課(0297・20・8666)へ。近くには、将門を祭神とする国王(こく・おう)神社などもある。

〈11〉西金砂神社のイチョウ(2011年10月25日)

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<西金砂神社のイチョウ。鳥居のすぐそばに立っている=常陸太田市>

■参拝 サワラと出迎え

 常陸太田市(旧・金砂郷町)の西金砂山(412メートル)。山頂にある西金砂神社は806年の創建と伝えられる。
 神社の鳥居の横で巨木が迎えてくれた。平安後期の武将、源義家(1039~1106)が戦勝祈願のため、植えたとされる説のあるイチョウだ。
 9月半ばに訪れたとき、長さ7~8メートルはあろうかという横枝(よこ・え)から気根(き・こん)(空気中に露出した根)がつららのように垂れ下がっていた。1週間後の台風15号の強風で、折れかかった横枝ともども切られた。
 10月9日に再訪すると、切られた枝と気根は、月末の「巨木を語ろう全国フォーラム」の見学用にイチョウの木の前に置かれていた。中嶋又実宮司(63)は「木登りぐらいしか遊びがなかった子どものころ、ほかの木は登れても、このイチョウの枝だけは高くて登れなかった。こんな風になり、がっくりきました」。
 イチョウのそばには西金砂神社のもう一つの自慢の種であるヒノキ科の高木、サワラが立っている。地上3メートルで分かれている数本の幹が、イチョウの木と反対の方向に曲がって伸びている。かつて、このサワラにはベニヤマザクラが宿り木(寄生)していたが、25年ほど前、春の湿った重い雪によって折れ、今はない。
 西金砂神社は、近江国(滋賀県)の日吉大社からはるばる海路を使って分霊され、西金砂山に迎え祭ったとされる。
 72年に1度行われる磯出大祭礼では、この分霊を日立の水木浜まで運び、海水で清めて、五穀豊穣(ほう・じょう)などを祈る。氏子らでつくる田楽師が田楽を舞いながら、6泊7日の行程で西金砂神社―水木浜間の約80キロを往復する。近年は2003年にあった。次回は2075年3月下旬に予定されている。

〈12〉旧里美村のヤマザクラ(2011年10月26日)

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<幹や枝の一部が腐ってもなお太い枝を伸ばして葉をつけるヤマザクラ=常陸太田市大菅町>

■山里に旬を告げる木

 車を降りると、あたりには、天日干しされた稲の香ばしいにおいがただよっていた。里川に流れ込む小川の脇の道をのぼる。
 茶畑越しに、スギの木に囲まれた「小室家のヤマザクラ」が目に入った。樹皮はこけむして深緑色に染まり、古木の風格を備えている。旧里美村(現常陸太田市)の「村の花」に指定され、村内に数あるヤマザクラのなかでも最長寿とされる。
 地元の人によると、戦後間もなく周囲にスギが植えられ、樹勢は徐々に衰えた。そこで1998年、腐りかかった幹や枝に治療が施された。モルタルが埋め込まれた痕は痛々しいが、それでも支え木もなしに重そうな枝を四方八方に伸ばしている。
 所有者の小室茂雄さん(86)=常陸太田市大菅町=は幼少期から、ヤマザクラがある風景を当たり前だと思って暮らしてきた。
 大菅は水府タバコの名産地。小室家も75年まで栽培していた。タバコは3月末に種をまき、7~8月に摘み取る。当時、わらぶき屋根の家の梁(はり)に竹竿(たけ・ざお)を渡して、タバコの葉を干した。
 つるしたタバコの葉を燻(いぶ)すときに使ったのが剪定(せん・てい)したヤマザクラの枝だった。燃えにくく炎が上がらないため重宝したという。
 小室さんは「床一面に枝が敷き詰めてあった。煙のにおいが記憶にあるなあ」と懐かしむ。
 小室家のヤマザクラは毎年4月20日ごろに花を咲かせる。開花時期にワラビやゼンマイが採れることから、地元の人たちに「旬を告げる木」と呼ばれて親しまれている(おわり)。

■ 大クスノキの樹勢回復へ樹木医らが作業/香川県丸亀市

2011/01/26 (四国新聞社)

 香川県丸亀市飯山町の八幡(はちまん)神社(秋山哲大宮司)境内にある大クスノキの樹勢が衰えていることが分かり、氏子有志らが26日、“治療”作業を実施。参加者は地域を見守る神木の回復に向け、土壌の改良に汗を流した。
 クスノキは高さ約17メートル、幹回り6メートルほどの巨木。旧飯山町史などによると、安土・桃山時代から同神社にあり、樹齢は400年を超えるという。
 2004年に県から「香川の保存木」の指定を受け、その直後に県みどり保全課職員が現状を視察。その際に葉の量が少なく、色も薄くなっていることなどから、木の衰えが確認された。
 「大クスノキは地域のシンボルであり、守り神のような存在。みんなで何とかしようと考えた」と氏子責任総代を務める岩崎正朔さん。住民らで協議し、有志による治療作業を昨年スタートした。
 作業は4年計画で、クスノキの周辺の土壌を4区画に分けて改良する。2年目の今年は約20人が参加。木の北西約30平方メートルをスコップやハンマードリルで50センチほど掘り返し、空気や水をよく吸収する素材を交ぜた新しい土砂と入れ替えた。
 同保全課主任で樹木医の譜久里泉さんは、「昨年の作業から1年たち、樹勢回復の兆しが見えるようになった。土壌改良を続けることで、さらに元気になっていくのでは」としている。

■ 「大クスノキ」公園のベンチに生まれ変わる 千駄木の須藤公園

2011年1月17日(東京新聞)

 樹齢三百年超ともいわれながら、樹勢が衰えたため「倒れたら危険」として伐採された「須藤公園」(文京区千駄木)の大クスノキが、生まれ変わった。木の香漂う丸太のテーブルとイス、幹の曲がり具合を生かしたぬくもりのあるベンチは、長年親しんできた周辺住民の「せめて形を変えて残して」という願い通り、公園内のクスノキが生えていた場所に置かれた。 (井上圭子)
 伐採されたクスノキは二本とも高さ約十五メートル。大人が抱えても両手が回らない太さで、古い住民には「そこにあるのが当たり前」の心強い存在だった。
 「強風で倒れる可能性が高い」として区は伐採を決めたが、住民の要望を受けて区は説明会を開き、具体的な希望を聞いた。
 「公園でくつろげるベンチを」「樹木の研究のため幹を分けてほしい」「子どもたちのためにおもちゃの積み木を」「葉を芸術作品の材料に」など、さまざまな意見が出た。切りたてのクスノキはにおいが強いため「切り株で作った臼で餅つきをしたい」という要望は実現できなかったが、それ以外はほとんどかなえられた。
 直径七十センチの丸太のテーブル一つ、直径約四十~五十センチの丸太のスツール五つ、長さ約三メートルの丸太のベンチ一つは、園内のクスノキが生えていた場所に設置された。近隣に住む保育士は「保育園の子どもたちに積み木を作ってあげたい」と中ぶりの枝を、東京芸術大学の学生は「作品の材料に」と葉のついた枝を、東大の研究者は「研究材料に」と幹に寄生したキノコ「サルノコシカケ」を持ち帰った。
 残ったのは一・五~二メートル、直径約四十センチの材木三本。このうち一本は世田谷区の木材加工技術を学ぶ団体「木挽(こび)きの会」に預けて板に。残り二本も製材所で板にし、区内で銘板などに使うという。
 「各部材を適した用途に再利用できた」と文京区みどり公園課の小沢信雄課長。近隣で電気設備業を営む渡辺喜一郎さん(70)は「思い入れのある木をうまく生かせて良かった。風情があっていい」と感慨深げに話す。

■ クスノキ電線に接触 和歌山県白浜町で3500世帯が停電

2009.8.10:紀伊民報

 和歌山県白浜町十九渕、日神社敷地内のクスノキが倒れかけ、枝が国道42号沿いの電線に接触しているのが9日未明分かった。この影響で、周辺の約3500世帯が、午前2時9分から午後0時44分まで約10時間半停電した。このクスノキを撤去するため、同町庄川口交差点から富田橋交差点までの国道42号約2キロが、同日午前9時40分から午後0時43分まで通行止めとなった。
 紀南河川国道事務所によると、同日午前3時28分に、関西電力から国道沿いのクスノキが倒れかかっていると連絡があった。
 クスノキ24 件は高さ約15メートル、幹周り約1・5メートル。放置すると国道をふさぐ恐れがあるため、同事務所が大型クレーン2台を使い、枝を少しずつ切断しながら木を撤去した。
 通行止めの間、車両は国道沿いの富田川対岸の町道や、同町才野方面に抜ける県道を利用した。

■ 死ぬまでに5000本は見たい――巨樹サイトの絶えない愛情(高橋弘氏)

(2009年11月23日:ASCII)文● 古田雄介

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高橋氏がこれまで対峙した巨樹のなかでも3本の指に入るという「寂心さんのクス」。
熊本県の指定天然記念物に指定されている

 ダムや水門、団地に廃道など、何かの魅力にとりつかれ、人生をも捧げる人たちがいる。今回取材した高橋弘氏が20年以上追い続けているのは、巨樹だ。 日本全国にある有名無名の巨樹を探し出しては出向き、その存在感に圧倒される経験を実に3000回以上も繰り返している。趣味のひとつから本職のライフワークに変わった現在も、まだ見ぬ巨樹への情熱は冷めていない。 そんな高橋氏が1997年から運営しているサイトが「日本の巨樹・巨木」だ。これまでに出会った巨樹のうち、1000本以上の写真やデータ、エッセイを掲載し、10年間コンスタントに更新を続けている。総合的な掲載マップのほか、樹種別のマップや樹齢樹高に関するコラムなども載せており、そのボリュームは辞典クラスといえるほどだ。 顔の見えるインターネット 第61回は、高橋氏を駆り立てる巨樹の魅力、そしてその足跡をネットに残す意図について伺った。

観光地巡りの先には、巨樹の世界が広がっていた

―― まずは、高橋さんと巨樹との出会いについて教えてください。
高橋 1988年当時はコニカ関連の現像所に勤めてまして、休みのたびに全国各地の観光地を巡るのが趣味でした。ただ、もうメジャーどころはまわりつくしていたので、じゃあ、人が行かないような日本の伝統的な史跡などを見てみようと思い、最初に行ってみたのが天然記念物に指定されていた巨樹だったんですよ。今は枯れてしまったんですけど、会津にあった「前沢の大杉」という巨樹でした。それを見て「これはすごいものがあるな」と。 それ以来ちょこちょこと巨樹を巡るようになって、1年くらい経ったときに「巨樹の会」を主宰されている画家の平岡忠夫さんにお会いしました。サイトでは平岡さんとの出会いがきっかけと書いていますが、その出会いによって余計弾みが付いたみたいです。

高橋 弘氏。
公営の巨樹情報センター「奥多摩町森林館」にて、調査員兼解説員として活動する傍ら、環境省の巨樹データベースの管理も行なっている。また、日本火山学会会員でもある。趣味が仕事になると純粋な楽しみ方を忘れるという人は多々いるが、高橋氏は「そういう変化は全然ないですね」という

―― 巨樹の会と合流して、現在の奥多摩町森林館に勤めるようになったわけですか?

高橋 いえ、10年くらい前まで同じ現像所に勤務していたのですが、会社統廃合の波が押し寄せてきまして、希望退職で辞めました。その後は完全に無職の状態で3年半くらい全国の巨樹を巡ってましたね。その間に全国を二巡したと思います。それでお金がなくなっちゃったので、フォークリフトの免許をとって、倉庫で3年くらい勤めました。そして、5年前に平岡さんから「森林館に欠員が出たからこないか?」と誘われて、現在に至るという流れですね。

―― なるほど。では「日本の巨樹・巨木」をスタートしたのは、現像所にいた頃ですかね。きっかけを教えてください。

高橋 そうですね、現像所時代でした。PCに詳しい友人がいて、「それだけ巨樹の写真を撮っているなら、ウェブで公開したほうがいい」と勧められたんです。最初に見た前沢の大杉がその2~3年後に枯れてしまったんですね。そういうこともあるので、巡った巨樹は写真に収めておこうと考えるようになって、当時で2000本くらいの巨樹の写真を持っていたんです。 ただ、1997年の頃はフリーで使えるホームページ容量は5MB程度がほとんどで、写真を載せまくっているとすぐに足りなくなりました。そこで海外のサービスで「kyoboku.com」というドメインを取得してスタートしたわけです。写真をスキャナーで読み込んでアップしての繰り返しで、結構手間でしたね。最近はデジカメで撮っているので更新が楽ですよ。今掲載していないフイルム時代の写真は、もうめったには掲載しないでしょうね。

―― ただ、手間という意味では、各巨樹に関する歴史的な文献から言及箇所を引用したり、樹木のデーターベースから必要な情報を持ってきたりと、そちらのほうがすごく大変な気もします。もう趣味の域は完全に越えている気がするんですけど、ああいった情報はどうやって集めているのですか?

高橋 神田の古書街などに行って古い本を買ってきたり、知り合いの教授に文献を教えてもらったりして集めています。現職に就いてからは環境省の巨樹データを管理する仕事もするようになったので、そういうデータに触れやすい環境が整っているのも大きいですね。 基本的に飽きっぽい性格なんですけど、木に関してはきっちりやっているかなと思います。あんまり面倒くさいという感情が沸きません。ただ、フイルムをスキャンする作業だけは、ちょっともういいなかと(笑)。

「ご神木」もいいけど、「野武士」も好き

―― そこまでのめり込める理由はどこにあるのでしょうか。巨樹の魅力について教えてください。

高橋 とにかく大きさですよね。圧倒される迫力と大きさ。使い古された言葉ですけど、これはもう言葉にはできません。とにかく1回見てもらえば分かると思いますよ。神経を集中させるという意識も別になく、何も考える必要もなく、ただ巨樹の前にいるだけでいいんですよ。それだけで何か感じるものがあると思います。俺は分からないですけど、人によっては「気がもらえる」「木と話ができる」と言っていますね(笑)。
 ただまあ、木を見に行くカルチャー教室に参加した人で、朝は体調が悪いと言っていたのに、巨樹を見たあとはピンピンして帰って行く人も結構いるのは確かです。
 あと個人的には、樹高よりも太さのほうが重要なんです。50メートルある細い木よりも、高さ30メートルでも幹周りが15メートルある木のほうが巨樹という定義にかなうと思うんですよね。だけどまあ、市町村では樹高で競ったりしていますよね。「我こそ日本一」とうたっているところが3つくらいありました。

―― 大きな存在に圧倒されるというのは「畏怖」の感情に近いですか? 「ダムサイト」の萩原さんはダム、「Floodgates」の佐藤さんは水門で似たような感情がわくとおっしゃっていました。

高橋 そういうことなんでしょうね。だから俺もダムは好きなんですよ。よく見に行っています。水門は美的な感性も必要とされるだろうから、難しそうですね(笑)。
 ただ、人工物と自然の物という違いはあるので、ダムにはそこまでのめり込まないと思います。学校の授業なんかでも、社会や国語みたいに人間が作ったものを学ぶより、理科みたいな自然の成り立ちなどを学習するほうが好きでしたね。今も地学は大好きです。

―― 木の種類によって、そういった感動は変わったりしますか?

高橋 人によるんですけど、俺は栃(トチノキ)や一位(イチイ)や桂(カツラ)が好きですね。トチノキとカツラはどちらかといえば山奥にあるんですよ。里のご神木ではなく、山の中の野武士的に生きてきたという、そういう感じがいいんですよね。イチイも北海道の極寒の地に生えていて、人の手を介していない感じがいいです。無名なんだけどすごいという。
 一般的には、スギが好きな人が多いと思います。ご神木になっているものも多くて、「やっぱりスギはスーッと伸びていていいね」と褒められたりしていますね。ただ、カルチャー教室をみていると、スギから入門したんだけど2~3年経ってから「カツラがいいね~」となる人が結構います。
 カツラは根元から何本にも分かれて生長するから、最初は受けが悪いんですよ。でも、100本、200本と巨樹を見ていくと、段々とその良さが分かってくるようです。不思議なんですけど、そういうのは間違いなくあるんですよ。

――  ちなみに、誰にも知られていない「野武士」を見るときは、どういうふうに情報を集めているんですか?

高橋 当然、地図に載っていないですからね。どこかの地方の森林に行くときは、地元のガイドの人や役場の人に話を聞きます。すると「森林整備で山に入ったときに、なんかすごいのがあったよ」という情報が得られるときがあるんです。あとは、知人からの情報というのもありますね。

目標の1000本掲載はクリア! 次に目指すは2000本

―― 読者の属性や、サイトの反響について教えてください。

高橋 読者は初期の頃はけっこう掲示板の書き込みが活発で、オフ会も10回くらいやりましたね。ここ数年は小さなオフを年に数回やるだけで、かなり落ち着いてきたと思います。最近はごく親しい方とmixiなどで盛り上がることが多いかも知れません。昔ほどサイトの更新は密ではなくなっている感じで、ブログも自由気ままに書いている感じかな。
 読者の中心は40~50代の方が7割ほどを占めているんじゃないでしょうか。中には団塊の世代の方で、セカンドライフを楽しもうとして見に来てくれている方も多いようですね。特に若い世代の方は結構こだわりがあるのか、一般受けするスギには目もくれず「銀杏(イチョウ)がいいんだよ!」と言ったりしていますよ(笑)。

―― すでに上の域に達しているんですね(笑)。ではサイトのほうは今後もあまり更新していかないんでしょうか?

高橋 そんなことはないですよ。一応、サイトを始めたときの目標が1000本だったので、それは達成しましたが、使命感もあって2000本くらいまではやるんじゃないかなあと思います。ほかにも、更新しているうちに気になるところがちょくちょく出てきたので、徐々に改良していこうと思っています。たとえば、今の都道府県別巨樹MAPで山梨県を見ると、本数が多くなりすぎたから、巨樹ポイントがくっついたりして使いづらくなっています。だから、1.5倍くらいの大きさの地図に置き換えていこうかなと思っています。

―― コンテンツが充実したからこその悩みですね。ただ、そういうメンテナンス作業というのは、楽しさが少ない割に大変だったりしますよね。サイト更新に力が入っていないときに、やらなきゃいけないことが増えると、心が折れたりしませんか。

高橋 まあ、マイペースでやろうと思いますね。でも、たぶん心は折れないですよ。正直なところ、20年強の間に「もう巨樹いいや」と思ったことは何度かあるんです。でも、すぐにまた巨樹を見たいという気持ちがぶり返してくるんですよ。
 何かの文献で巨樹に関する新しい情報を見つけたり、全国から「でかいカツラが発見されたよ」という情報が届いたりすると、気持ちが盛り上がるんですね。サイトを続けていることでそういう情報を得ることも多々ありますから、更新を放置するような状況にはならないでしょう。
 ただまあ、最近はそういう波がなくなって、安定して興味を持ち続けていますけどね。

―― 先ほどお話に上ったイチョウですが、サイトのエトセトラコーナーで専用マップを公開していますね。やはり、マニア層に向けて作ったのですか?

高橋 あれは、オランダの研究者の方に頼まれたんですよ。ヨーロッパのイチョウを研究している有名な人みたいで、日本のイチョウのデータがほしいというので作ったんです。
 イチョウといえば、日本のどこにでもあるじゃないですか。でも1億年くらい昔に誕生した木なので、亜種というか奇形が多くて面白いんですよ。たとえば、葉っぱがラッパ状になっているものや、葉っぱの上にギンナンが乗ったままになるやつだとか。そういう木が時々あって、公的に見つかったものは国の記念物になっています。だけど国や自治体に気づかれずにいる奇形も結構多いんです。俺と知人の研究者と一緒に調査したら、全国で何本も発見しました。
 巨樹の楽しみ方とは違うけど、木というのはそういう面白さもあるんですよね。

達人から読者へ、巨樹鑑賞のアドバイス

―― 巨樹のデータやエッセイを読ませていただくと、木の健康状態を気にされている記述がよくあります。20年も続けていると、死んでいった木も結構多いんですかね。

高橋 それはありますね。実際、2回目に見に行ったら枯れていたという木も20本くらいありましたしね。死ぬ直前に、急に葉っぱが全部落ちるなどのサインを出す場合もあるんですが、弱っているところに台風が直撃して駄目になっちゃうということも多いと思います。たとえば伊勢湾台風は50年に一度の規模と言われていて、巨樹が10本以上も倒れたらしいですからね。まあ、自然の摂理なんだろうとは思っていますが、気になることは気になります。

―― 巨樹を見に行く際、木を傷めないように注意することがあったら教えてください。見に行って寿命を縮めさせたら気分悪いですし(笑)。

高橋 根元に立ち入らないことですね。根元を踏み固めてしまうと、根が水を吸いにくくなるんですよ。根を避けて歩いてもダメージになるわけです。なるべく木に負担がかからないよう気を使いながら、常識の範囲内で行動すればと思っています。

―― ありがとうございます。もうひとつ、参考のために高橋さんの巨樹ベスト3も教えてください。

高橋 そうですね……熊本県にある「寂心さんのクス」と、佐賀県武雄市にある「武雄の大クス」。あと1本選ぶとすれば……青森県にある「北金ヶ沢のイチョウ」かな。
 だけど、まあ、最初はなんでもいいから巨樹を見てみるのが一番だと思いますね。都会でも神社などのご神木で大きなものがありますから。たとえば、東京だったら東京タワーの近くにある「善福寺のイチョウ」の前に立ってみると、言葉に表せない感じが伝わるんじゃないかなと。

―― 分かりました。では最後に、巨樹研究家としての今後の目標を教えてください。

高橋 死ぬまでに日本で5000本は見たいって感じですかね。現在3000本なので、頑張ればいけるかなと。でも、5000本見たところで、日本の巨樹を全部見たという感じにはならない気もしていますね。
 海外にもたくさん巨樹はあるんですが、そちらには興味が向かないんですよ。日本はこれだけ狭い国土の中に幹周りが10メートルあるような種類の樹木が何十種類もあるんですね。こんな密度のところは、世界中探してもないでしょう。だから、日本が一番。日本だけで十分なんです。
 幹周りが5メートル以上というのが俺の基準なんですが、そういう木を5000本は見たいですね。

■ 幹や枝葉を入念にチェック -クスノキ健康診断 香川県

2006/09/27 (四国新聞社)

 香川県高松市のシンボルとして親しまれる中央通りのクスノキ並木の健康診断が二十七日、始まった。道路を管理する四国地方整備局香川河川国道事務所が実施。職員と樹木医が、倒木や枝折れの原因となる幹の腐朽や枝葉の状態を入念にチェックした。
 中央通りには百九十七本のクスノキがあり、同事務所は五年ごとに全木を検査。状態の異なる指標木二十七本については、毎年健康診断を実施している。
 今年は栗林公園前の歩道工事で移植した三本を除く全指標木の健康診断のほか、指標木以外もすべて簡易な樹勢診断を実施。状態を細かくチェックする。
 この日は樹木医ら五人が、琴電高松築港駅前から寿町までの約四十本の幹の腐朽状況や枝葉密度、コケの生え具合を目視調査。詳細な樹形も記録した。診断後は状態に応じて施肥や土の入れ替え、枯れ枝の伐採を行う。
 樹木医の川西玉夫さん(五六)は「二〇〇四年の高潮でまだ根が弱っている木も多く、こまめな健康管理が大事」と話していた。

<巨樹に関するHP>

私が日々眺めたり参考にしているHPです。

【栃木・群馬版】

【全国版】

本も出版している巨樹専門家(?)です。