巨樹を訪ねて

巨樹・大樹を訪ねて

大きな樹が好きです。
数百年もの間、日本人の営みを見守ってきた木々・・・人間の能力を超えた命に触れて元気をもらってます。
★ 写真をクリックするとリンク先のスライドショーが始まります。

「野の大クス」(群馬県桐生市)勝願寺の地蔵ケヤキ(栃木県鹿沼市)「野の大クス」(群馬県桐生市)「丸嶽山神社のこぶケヤキ」(栃木県佐野市)「神光寺の大カヤ」(群馬県邑楽町)「茂林寺の大サワラ」(群馬県館林市)「賀茂神社のスギ」(群馬県桐生市)「白髭神社のシラカシ」(群馬県桐生市)「横室の大カヤ」(群馬県前橋市)「赤城神社のたわら杉」(群馬県前橋市)「生品神社のクスノキ」(群馬県太田市)「浄蔵寺の大イチョウ」(群馬県太田市)「大通寺のケヤキ」(群馬県太田市)「反町館のクスノキ」(群馬県太田市)「本郷弓町のクスノキ」(東京都)「大雄寺のクスノキ」(東京都)「神宮寺の枝垂れ桜」(長野県軽井沢町)「熊野神社のシイノキ」(長野県軽井沢町)「諏訪神社の巨樹たち」(長野県軽井沢町)「風仙寺のカヤ」(群馬県桐生市)「日光神社のスギ」(栃木県足利市)「日枝神社のクスノキ群」(群馬県桐生市)「崇禅寺のイトヒバ」(群馬県桐生市)「金山の大ケヤキ」(群馬県太田市)「東光寺のモミノキ」(群馬県太田市)「大聖院のクスノキ」(栃木県佐野市)「植野小学校のスズカケ」(栃木県佐野市) 粟野のツボ子杉(栃木県鹿沼市)谷倉山神社の夫婦スギ(栃木県鹿沼市) 日光神社の豊年杉(栃木県鹿沼市)「熊野神社のスギ」(栃木県鹿沼市)「粟野のカヤ」(栃木県鹿沼市)日枝神社(栃木県鹿沼市)のスギ寄居のエノキ(栃木県鹿沼市)岩倉神社のスギ(佐野市)熊野神社のカヤ(佐野市)

<巨樹関連ニュース>

 巨樹・巨木に関するニュースを拾い読みしました。

■ 巨木フォーラム、常陸太田で開幕 住民討論や児童ミュージカル 

(2011.10.30:茨城新聞)

 第24回巨木を語ろう全国フォーラム茨城・常陸太田大会が29日、常陸太田市中城町の市民交流センターで開幕し、約600人が参加した。校庭の桜をテーマに小学生が創作ミュージカルを上演し、パネルディスカッションで地元住民らが意見交換した。30日は巨樹巡りツアーが4コースに分かれて行われる。
 主催者を代表して大会実行委員長の大久保太一市長は、東日本大震災に触れながら「皆さまから元気を頂き、復興への大きな力としたい」と歓迎あいさつ。日本樹木医会会長で茨城支部長の中村澄夫さんをはじめ、県内で活動する県西巨樹・古木の会など各団体が成果を報告した。
 市立瑞竜小の児童55人が創作ミュージカル「命の輝き〜瑞桜(ずいおう)とともに」を上演。校庭中央にあるシンボルの桜「瑞桜」を主題に、子どもたちは四季の移り変わりと約80年の歩みを、歌と踊りで伸び伸びと表現した。
 パネルディスカッションでは大会副実行委員長の川上千尋さんらが意見交換。川上さんは「巨樹の根っこに見る力強さから多くを学びたい」などと、巨木に対する特別な思いを語った。
 大久保市長が大会宣言を読み上げた後、来年の開催地である青森県の関係者に大会旗を引き継いだ。
 このほか、ひたち巨樹の会の会員が県内の巨樹などを紹介する写真を展示。フォーラムに先立ち、全国巨樹・巨木林の会の総会も開かれた。

■ 130歳ケヤキの下で音楽会 2014年閉校の福岡・千手小児童

(2011.10.30:朝日新聞)

 福岡県嘉麻市の千手(せんず)小学校で28日、校舎に寄り添うように立つ樹齢約130年のケヤキの下を会場にした音楽会があった。同校は、2014年開校の嘉穂小学校に統合され、閉校することが決まっている旧嘉穂町の5小学校の一つ。「ケヤキとの思い出をいっぱい作ろう」と、初めて企画された。
 時折、小雨が降る中、1~6年生の児童58人がケヤキの下に集まった。保護者や地域の住民が見守る中、1992年に当時の在校生が作詞した「けやきのうた」を歌った。学校の愛唱歌として、今でも校歌と同じように慕われている。
 歌の合間に6年生がケヤキの思い出を語った。梶嶋菜月さん(12)は、運動会の練習で疲れたときのことを思い出しながら、「木陰を作ってくれてありがとう」と木に呼びかけた。山本秀平くん(11)は、野球でヒットが打てなかったときのことを思いながら、「嫌なことがあっても木の下に寝転がると、ほっとした」と振り返った。
 ケヤキは、現在地に校舎が移った1903(明治36)年に植えられた。
 当時は直径10センチ程度だったが、今や直径4・6メートル、高さ20メートルの巨木に。台風で枝が折れ、弱った時期もあったが元気を取り戻し、市の天然記念物にも指定されている。地域のシンボルとして愛され、県外から卒業生が帰省し、木を見上げている姿が時折見かけられるという。
 閉校後もケヤキは残される方針だが、学校全体の跡地利用は、まだ決まっていない。溝口和代校長は「閉校までにケヤキとの思い出を多く作れるよう、毎年、音楽会を続けられたら」と話している。

※ 樹齢100年程度でケヤキの直径が4.6mになることはあり得ないので、「幹周」の間違いと思われます。

■ 樹齢600年大モミの切除に賛否 おおい、倒木危険で苦渋

(2011年10月17日:福井新聞)

20111017190617_952635655.jpg幹上部の切除などの工事が行われる大モミ=福井県おおい町岡安の依居神社
 福井県おおい町岡安の依居(えこ)神社にある、樹齢600年とされる大モミ(県指定天然記念物)が、強風などに見舞われた際に倒木する可能性が高まっているとして、同神社は17日、幹上部の切除と、切除部分の保護などの工事を始めた。木の切除は地元の氏子、町、樹木医らが検討を重ねた末の苦渋の決断。切除が木の生存にどの程度の影響を与えるかは現段階では不明だが、氏子たちは「何とか生き延びてほしい」と願っている。(野田勉)
 大モミは、923年創建とされる同神社の境内にある。高さ約40メートル、根回り約11メートル、目通り(目の高さの太さ)約6メートルで、全国的にも有数の巨樹とされる。1969年に県天然記念物に指定された。
 幹は、80年ほど前に実施した幹の切除や、腐朽菌の侵入などの影響で、高さ約30メートルの部分で芯(しん)材が空洞化し、現在も腐朽が進行している。地元の要請を受け、樹木医の池上成志さん(れいなん森林組合)が2008年、大型クレーンを使って空洞に樹脂を詰めるなどの回復措置を施した。
 しかし昨年末、大雪の重みで付近の枝が落ち、空洞が一気に広がった。強風などで空洞部分から幹が折れる危険性が高まったため、木の世話をしてきた氏子たちが今年8月、町に保護を要請した。
 その後、町教委や樹木医などが対策を検討。工事では、大型クレーン2台を使い、空洞部分から上部10メートルほどを切除する。切除した部分にステンレスの保護板でふたをするなどの処置を行う。11月中旬ごろに完了する予定。総事業費は333万円で、県と町が約90%を補助する。
 氏子総代の石橋司さん(63)は「神社とともに歴史を刻んできた木が切られるのは寂しい。しかし、参拝客や神社境内で遊ぶ子どもらの人命、拝殿の損壊などを考慮し、苦渋の決断をした」と話した。
 一部の氏子からは幹を切ることに否定的な声も上がったが、町教委は「樹脂を詰める方法なども検討したが強度に問題があり、倒木の危険性は高いまま。木の保護という観点から検討した結果、切除はやむを得ない」としている。切除後の生存については「現段階では何とも言えない」という。

■ 樹齢1900年、大楠の下で音楽会 福岡、千人うっとり

(2011.10.16:朝日新聞)

 福岡県築上町の国指定天然記念物「本庄の大楠」で15日夜、コンサートが開かれた。推定樹齢1900年、高さ約25メートルのクスノキの下にステージを設置。生演奏を楽しみに集まった千人を超す観客は、クラリネットや弦楽器が奏でるクラシック音楽などに耳を傾け、秋の夜長を満喫していた。

■ 巨木を訪ねて(2011年10月〜朝日新聞茨城県版)

〈1〉常陸太田のカシ 「お宝」斜面が守る(2011年10月06日)

k_img_render.php.jpeg関公平さん(左から2人目)宅の裏山にあるカシの巨木=常陸太田市赤土町
 9月、常陸秋そば発祥の地として知られる常陸太田市赤土町に車で向かった。
 地元産を味わえる「そば工房」を通過し、突き当たりを左折。舗装されているが、車がすれ違うのがやっとの細い山道を西金砂(かな・さ)神社に向かって進む。中腹の高台にある関公平さん(89)の家で車をとめた。
 お目当てのカシの巨木は関さん宅の裏山にあった。斜面にしっかりと根を張り、踏ん張っている。幹の部分は空洞だが、根から出るひこばえ(若芽)が支え、長く伸びる枝も近くのカシの若木に支えられている。イソギンチャクを思わせる形の幹と、千手観音のように四方八方に広がる枝ぶり。宮崎駿アニメ「となりのトトロ」に出てくる光景を連想させるため、関さんの長男の公樹さん(60)は、自分の娘が幼いころ、「トトロ
の木みたいだね」と語りかけた思い出もある。
 「ひたち巨樹の会」代表の川上千尋さん(77)によれば、斜面に生えたことが、巨木になった一因という。水はけがよく、日当たりはほどほど。強風から守られて、静かに樹齢を重ねてきた。
 公樹さんも母、八千代さん(84)も幼少時、樹液を好奇心からなめてみた。「甘かった」と口をそろえるが、なぜか、今はお目にかかれない。
 存在が知られるようになったのは2年前。「身の回りの資源で元気のある地域に」。こう考えた地元の人らが「お宝」探しに歩き、発見。万畑(まん・ばた)と呼ばれるこの土地のいわれなどを記した看板を立てた。
 治承4(1180)年、金砂城にいた佐竹氏を源頼朝が攻めるとき、万本の旗を立てて陣を張ったことから、万畑と呼ぶようになったとされる。そのころに生えた木だという。

〈2〉取手のケヤキ 子育て地蔵包み込む(2011年10月07日)

k_img_render-1.php.jpeg幹の空洞に安置された「子育て地蔵菩薩」=取手市下高井の高源寺
 境内に向かう一本道に、子どものお地蔵さんが並ぶ。数えると、6体も。地蔵が身につけた真っ赤な毛糸の帽子と、よだれ掛けが、モノトーンの景色を彩る。近所から都内へ嫁いで久しい年配の女性が今夏、新調したという。
 取手市北西部の高源寺。山門をくぐると、苔生(こけ・む)した境内に石畳の細い参道が続く。
 「樹勢回復中 柵の中に入らないでお参り下さい」
 こんな立て札が目に入った。柵の内側には、ケヤキの巨木がそびえ、その幹の根元にポッカリ開いた円い穴から地蔵の後ろ姿がのぞく。紅色のヒガンバナを眺めながら正面に回り込むと、今度はもっと大きな穴、というよりも洞窟の入り口のような高さ約7メートルの空洞が現れた。
 幹の中心部がなく、分厚い外皮が祠(ほこら)のように地蔵を雨風から守っている。幹の表面は淡い緑、内部はこげ茶色だ。昨夏の猛暑の影響か、今年の葉は2センチ余りと小ぶりだ。
 言い伝えによると、空洞は寺が火災にあったときに焼けてできたらしい。いつからまつられているかは定かでないが、「子育て地蔵菩薩(ぼ・さつ)」と親しまれ、「空洞をくぐり詣でれば安産あらたか」。菅井大典(だい・てん)住職(61)は「江戸期の過去帳をひもとくと、当時は子どもの死亡が多かった。安産と健やかな成長を願ってまつられたのでしょう」。
 いまも、子宝を願う夫婦や、その親、「無事出産」を伝える参拝者が時折訪れる。
 ケヤキの樹勢について、菅井住職は「危篤の一歩手前」と心を痛める。十数年前から根元を何度も掘り返し、土壌の改良や施肥による「手術」を繰り返してきた。太い鉄柱の「松葉杖」が枝を支える。

〈3〉桜川のスダジイ 菩薩宿る伝説の霊木(2011年10月08日)

k_img_render-2.php.jpeg石垣の上から参道に覆いかぶさるように立つスダジイ=桜川市本木の楽法寺
 筑波山や加波山に連なる雨引山(409メートル)の中腹にある楽法寺(雨引観音)。つづら折りの道を登って、最も上の駐車場から続く参道で本堂に向かう。すぐさま、石垣の上から覆いかぶさるように太い枝を伸ばして青々と茂るスダジイが目に飛び込んできた。
 石垣と石垣の間の狭い斜面に根が身をくねらせる。見る者を圧倒する太い幹にはところどころ小さなうろ(洞)があり、枝を切り落とした跡も。幹にはしめ縄が張られ、根元はきれいに掃き清めてあった。
 木の前に「宿椎(やど・じい)」の石碑が立っている。
 寺によると、1472年に戦乱で本堂など諸堂が焼失した際、本尊の延命観世音菩薩(ぼ・さつ)が自ら光明を放ってこのスダジイの下に避難して難を逃れた。火が消え軍兵が引き揚げたのち、集まった信者は本尊の無事を涙を流して喜んだとの言い伝えから、本尊が宿った「宿椎」とも呼ばれるようになったという。
 木の近くで幹に目を凝らすと、手の届く範囲の樹皮の間やわずかなくぼみに一円玉が挟み込まれているのが見える。楽法寺の宇留野聖澄(しょう・ちょう)事務長は「挟んでいる人を目の当たりにしたことはないが、泉に硬貨が投げ込まれるように、何かを願ってのことでしょう」と話す。
 安産、子育てに御利益があるとされ、桜やアジサイなど四季折々の花の名所としても親しまれる。その境内に鎮座する霊木「宿椎」もまた信仰の対象であり続け、平日でも訪れる人は絶えない。

〈4〉鉾田のイスノキ 代官の木衰え知らず(2011年10月12日)

k_img_render-3.php.jpeg田口寛さん宅の庭の片隅にあるイスノキの巨木=鉾田市勝下
 鉾田市内の国道51号から海側へ入った勝下(かつ・おり)地区。車1台が通るのがやっとの路地を進むと、すぐ分かった。イスノキだ。濃い緑を帯びて、そびえ立つ。
 枝から緑色の実のようなものがぶら下がり、地面には小さな穴の開いた巨大な柿のようなものが散らばっている。「体長3ミリほどの小バエのような虫が葉に卵を産みつけ、卵が大きくなるにつれ緑色の球になる」と所有者の田口寛さん(71)。
 緑色の球は「虫こぶ」といい、虫が羽化して出た後は殻になって落ちる。虫こぶに含まれるタンニンは染料に用いられ、この殻に息を吹きかけると笛のように鳴るので「ホーホーの木」とも呼ばれる。
 木の前の看板には「主として伊豆地方以南、沖縄、中国大陸に分布し、本県では非常に珍しい」とある。史料によると、水戸光圀(1628~1700)が諸国から移入した草木にイスノキも含まれる。田口さんは「このへんにいた代官が植えたと伝え聞いている。昔は男の子のたまり場で、私も毎日のように木に登って遊んだ」。妻の喜美子さん(66)は「木が虫を育てているみたいだが、ご近所から苦情が来たことはありません」と話す。
 4年前、専門の業者に剪定(せんてい)してもらった後、田口さんは初めて枝を切ろうとしたが、のこぎりでは歯が立たないほど堅かった。机や椅子といった家具の材料に適していることなどが名前の由来のようだ。
 根から分かれたらしい幼木が庭のあちこちに顔を出している。樹勢は衰えを知らないようにみえる。「木の周囲をもう少し手入れして、木陰で2人がくつろげるようにしたい」。そう言って、田口さんはイスノキを見上げた。

〈5〉御岩山の三本杉 成長続け横綱の貫禄(2011年10月13日)

k_img_render-4.php.jpeg幹が3本に分かれている地表約3メートルあたりには昔、天狗(てんぐ)がすんでいたとされ、「天狗杉」の別名も=日立市入四間町
 御岩(お・いわ)神社の鳥居から社殿に向かう緩やかな坂道を70メートルほど歩くと、周囲と比べひときわ大きな杉の木が右手にあった。
 2000年、林野庁の「森の巨人たち百選」(巨樹・巨木百選)に県内で唯一選ばれた「御岩山(さん)の三本杉」。県内の巨木を撮り、神社の近くに住んでいた関右馬允(う・まの・じょう)(1888~1973)の文庫版「常北之山水」(筑波書林)には、「県下巨杉番附(ばん・づけ)の三役格である」と記されている。しめ縄を巻いた巨木を目の当たりにすると、横綱に思えてくる。
 地上約3メートルのところで幹が3本に分かれているところから、その名がついたとされるが、3本の幹が成長するにつれて根元が一体になったという説もある。専門家に聞いても、はっきりしないという。
 三本杉と並ぶ名物が、参道約300メートルに数百株植えられているシャクナゲだ。黄金週間のころに咲き乱れる。例年、春から初夏にかけ、登山客と合わせ数万人が訪れるが、今年は東日本大震災の影響でいつもの年より少ないという。御岩神社の大塚真史宮司(43)は「今年は花芽が多くて、訪れた人に喜んでもらえると楽しみにしていたのに」と話す。
 創建の時期は不明だが、江戸時代、神仏習合の山として信仰を集めた出羽三山を水戸藩が勧請(かん・じょう)(請い迎えてまつること)し、栄えた。明治維新の神仏分離令で撤去された仏像類は地元の人が大切に保管。20年前に再建された仁王門に金剛力士立像が安置されている。神仏習合の伝統行事「回向祭(え・こう・さい)」が15、16の両日開かれる。

〈6〉常陸太田のケヤキ 濃い緑精気を放つ(2011年10月15日)

k_img_render-5.php.jpeg若宮八幡宮の大ケヤキ。訪れた人は思わず仰ぎ見る=常陸太田市宮本町
 常陸太田市の中心部にある若宮八幡宮を、「ひたち巨樹の会」代表の川上千尋さん(77)の案内で訪れた。10段ある階段を上がると、ケヤキの巨木が目と鼻の先に現れた。巨象のようにどっしりとしていて、風に揺れる葉は緑が濃い。
 木陰に一歩、足を踏み入れた。日差しは和らぎ、疲れがとれるような気がした。周りにはロープが張られ、立ち入りが禁じられている。このため、近くに立つ別の巨木に「『精気をもらうんだ』と言って、抱きついていく参拝客もいます」と若宮八幡宮の和田忠彦宮司(69)。
 巨樹の精気を受けながら足腰を鍛えるという「健康体操巨樹ウオッチング」を、川上さんが披露した。
はじめに腰を下ろして根の張り具合を確かめたら、万歳をするように両手を上げて上の枝を仰ぎ見る。次に視線を落として再び根を見たら、相撲の四股を踏むような体勢をとる。最後に深呼吸をする。これを3回繰り返す。
 若宮八幡宮は、この地を本拠とした佐竹氏の代々の祈願所だった。佐竹氏が今の秋田県に国替えした後、水戸光圀が命じて太田郷(常陸太田)の鎮守にしたという。
樹勢は一時、衰え、葉の緑色もあせた。そこで、樹木医に治療を依頼。1996年、日立市の造園会社が空気や水の通りがよくなるように土壌を改良。再び元気を取り戻した。
 3月11日の大震災で鳥居や狛犬(こま・いぬ)、石碑、歌碑が軒並み倒れた。和田宮司は、境内にあるすべての樹木の枯れ枝がほとんど落ちたことにも驚いた。「そのためでしょうか、今年はケヤキの緑が濃く、いつもの年より状態もいいようです」(成田認)
 樹齢約640年。幹回り約11・4メートル。県指定文化財。常陸太田市宮本町。市中心部の鯨ケ丘商店街の北側にある常陸太田郵便局前から西側へ歩いて2、3分。約30台分の駐車場がある。問い合わせは市教育委員会文化課(0294・72・3111)へ。

〈7〉太田一高のソメイヨシノ(2011年10月18日)

k_img_render-6.php.jpeg太田一高野球部の島根修二監督は高校時代、このソメイヨシノの傍らで練習に励んだ=常陸太田市栄町

◆選手の姿 見守り続け

 1900年、旧制水戸中学(現・水戸一高)太田分校として開校した太田一高。正門やグラウンド付近に、ソメイヨシノとしては県内でも屈指の古木が約20本ある。創立の頃に樹齢5、6年の若木を植えたものだという。
 根を張る幹の表皮は、灰緑色に浮き上がってみえる。ウメやサクラの古木に生育するウメノキゴケの類いとみられる。木のこぶも目立つ。幹の内部は空洞で、根元のひこばえ(若芽)が支えている。
 ソメイヨシノは、98年に学校の近くに専用の野球場ができるまで約1世紀にわたり、さまざまな運動部の選手を見守ってきた。
 野球部は、同校の創立とともにつくられた。監督の島根修二教諭(48)は野球部のOB。79年4月の入学して間もないころ、野球部に入るかどうか迷った。高校で通用するか、期待と不安が交錯した。
 桜吹雪が舞うなか、1週間、三塁側にあった大きなソメイヨシノの下で練習を見学。当時の監督に強く請われて入部を決めた。
 1年の秋に正選手になったが、体調を崩し、3週間ほど入院。2年生の春、満開の桜を見て、「『よしやるぞ』という気持ちになった」という。
 2年夏の選手権茨城大会には5番一塁手として出場。準決勝で、優勝した江戸川学園に敗れた。2年の秋からはエースに起用され、投打の柱を務めたが、3年の夏は3回戦で敗退した。
 日本樹木医会の中村澄夫会長(68)=那珂市=の指導のもと、2010年、同校のOBが中心となり、「太田一高の桜を守る会」(仮称)を結成。調査の結果、空気が根のまわりに行きわたりにくくなっていることが分かったため、今後、土壌に空気を送り込むなど保護対策をとる予定だ。

〈8〉里美のセンノキ 旧道の目印ひっそり(2011年10月19日)

k_img_render-7.php.jpeg中野林平さん(背中)の案内で薄暗い旧道を行くとセンノキが目に入った=常陸太田市小菅町
 雨上がりの国道349号を常陸太田市に向かった。里川沿いの田畑のあぜをヒガンバナが彩る。
 その巨木は、旧里美村小菅町と旧水府村東染町の中間点、つづら折りの旧道が残る明神峠(境峠)へと続く掘割のそばにひっそりと立っていた。地元の人に親しまれて久しい「明神下のセンノキ」だ。
 3本の太い根を砂岩にはわせ、幹は勢いよく真上に伸びている。シデの葉に覆われ、木漏れ日がわずかに差す暗い森の中。存在感が際立つ。
 舗装された車道からそれた旧道には落ち葉や小枝がたまっている。通る人はほとんどいないが、1940年代までは小菅町と東染町や天下野町を結ぶ生活道路だった。山道を長ければ十数キロ、重い農作物を担いで歩いたという。当時の人の健脚ぶりに驚かされる。
 案内してくれた小菅町の中野林平さん(74)も小学生のころの遠足で、この旧道を歩いて峠付近の「日輪兵舎」と呼ばれる軍事と農業の実習場に足を延ばした。中野さんが通った賀美小学校から日輪兵舎までは約6キロ。子どもたちはセンノキが見えると、「兵舎は近いぞ」と勇んで歩いたという。
 センノキはハリギリとも呼ばれるウコギ科の落葉高木。トゲがある枝と手のひら状の葉っぱ、黒褐色で荒くひび割れている木肌が特徴だ。
 やわらかく水分を多く含むため、炭にすると小さくなる。炭焼き職人は、釜いっぱいに詰めたはずのセンノキが焼き上がると泥棒に盗まれたかのように目減りするため、「ドロボウノキ」と呼んだ。
 若芽はタラの芽のように食用になる。中野さんによるとタラの芽よりも香りが強く癖になる味という。

〈9〉つくば・一ノ矢の大ケヤキ(2011年10月20日)

k_img_render-8.php.jpeg枯れてもなお威厳を保つ「一ノ矢の大ケヤキ」=つくば市玉取

■枯れても なお存在感

 つくば市の県道「学園東大通り」から脇道に入り、50メートルほど進む。ケヤキやスギ、カシなどの巨木に囲まれた「一ノ矢八坂神社」が目にとまった。
 1960年代から開発が始まった研究学園都市地区にあるが、創建は貞観年間(859~877年)にさかのぼる。社名は、田畑を荒らす3本足のカラスを退治しようと矢を放った場所という逸話にちなむ。何十本も生い茂る高さ20メートル以上の木々が、いっそうの威厳を与え、最先端科学の研究機関がそばにあることを、しばし忘れさせる。
 県指定文化財の本殿の南側に、枯れて白くなりながらも、圧倒的な存在感を放つケヤキが立っている。「一ノ矢の大ケヤキ」の愛称で長く親しまれてきた巨木だ。
 木の根元には、子どもなら5、6人は入れそうな高さ3メートルほどの空洞が。50年ほど前までは、小学生の登下校の際の格好の遊び場だったという。宮司の高田重明さん(76)は「かくれんぼや秘密基地ごっこ。なかには、火遊びをする子もいて、先代の宮司によく怒られていました」と話す。
 91年の環境庁(当時)の調査で県内3位の巨木と認定されたが、95年9月、台風で幹の上部約20メートルが倒壊。99年には枯死(こ・し)が確認された。
 樹木医らの調査の結果、下水道工事などで根が傷み、徐々に樹勢が衰えたことが原因と分かった。以前から対策の必要性を指摘する声はあったが、多額の費用に神社も行政も二の足を踏んでいた矢先の「死亡宣告」だった。
 「所有者が施す対策だけでは限界がある。もっと木に関心が高まり、みんなで保護しようという動きになってほしい」と高田さん。枯れた巨木が、巨木保存のシンボルになることを願っている。

〈10〉延命院のカヤ(2011年10月22日)

k_img_render-9.php.jpeg平将門の胴塚を抱えるように立つカヤ。胴塚には絶えず花が手向けられている=坂東市神田山

■将門の胴塚 根が守る

 坂東市と常総市にまたがる菅生沼(すが・お・ぬま)を望む台地に延命院がある。夕暮れ時、落ち葉が敷き詰められた境内を歩く。
 不動堂の屋根伝いにリスが大木に跳びうつった。カヤの木だ。隆々とした筋肉のような太い幹がまっすぐ伸び、枝葉が空を覆っている。
 このカヤの根元にある小さな円墳は胴塚・将門山。平安時代の武将・平将門の胴が埋められていると伝わる。カヤの根は胴塚を抱え込むように力強く張っている。坂東市出身の歴史研究家、染谷洌(きよし)さん(73)は「長きにわたってカヤが、盗掘から胴塚を守っていたんでしょう」という。
 反逆者のイメージがある将門だが、古文書などからは民から慕われる英雄の側面も見えてくる。
 未開の地だった坂東を中心に、鉄製の農具の鋳造や治水、農地の開墾に取り組んだ。だが、関八州(かん・はっ・しゅう)を支配する勢力拡大が朝廷への反逆とみなされ、天慶(てん・ぎょう)3(940)年の合戦で流れ矢を受け討ち死にした。首は京都に送られたが、残った胴は家来がひそかに延命院に埋め、目印にカヤの木を植えたとされる。
 将門は生前、一本のカヤをくりぬいてつくった丸木舟で水上交通の支配権を握っていた。「将門の象徴としてカヤを植えたのでは」と染谷さん。神田山(か・ど・やま)という地名は、将門の「からだ」がなまってつけられたとも言われる。
 周りには、36年前に東京・大手町の将門首塚から移された石塔婆(せき・とう・ば)や赤い頭巾姿の地蔵がカヤを見守るように立っている。武に秀で心優しかったという将門をしのび、団体客を乗せた観光バスも時々、立ち寄る。胴塚に手向けられる花々は絶えることがないという。(石倉徹也)
 ▽樹齢は定かではないが、「1千年を超える」(歴史研究家の染谷洌さん)とみられる。幹回り3・6メートル。坂東市神田山715。関東鉄道常総線「北水海道駅」から車で20分。駐車場約20台。坂東市天然記念物。問い合わせは市商工観光課(0297・20・8666)へ。近くには、将門を祭神とする国王(こく・おう)神社などもある。

〈11〉西金砂神社のイチョウ(2011年10月25日)

k_img_render-10.php.jpeg西金砂神社のイチョウ。鳥居のすぐそばに立っている=常陸太田市

■参拝 サワラと出迎え

 常陸太田市(旧・金砂郷町)の西金砂山(412メートル)。山頂にある西金砂神社は806年の創建と伝えられる。
 神社の鳥居の横で巨木が迎えてくれた。平安後期の武将、源義家(1039~1106)が戦勝祈願のため、植えたとされる説のあるイチョウだ。
 9月半ばに訪れたとき、長さ7~8メートルはあろうかという横枝(よこ・え)から気根(き・こん)(空気中に露出した根)がつららのように垂れ下がっていた。1週間後の台風15号の強風で、折れかかった横枝ともども切られた。
 10月9日に再訪すると、切られた枝と気根は、月末の「巨木を語ろう全国フォーラム」の見学用にイチョウの木の前に置かれていた。中嶋又実宮司(63)は「木登りぐらいしか遊びがなかった子どものころ、ほかの木は登れても、このイチョウの枝だけは高くて登れなかった。こんな風になり、がっくりきました」。
 イチョウのそばには西金砂神社のもう一つの自慢の種であるヒノキ科の高木、サワラが立っている。地上3メートルで分かれている数本の幹が、イチョウの木と反対の方向に曲がって伸びている。かつて、このサワラにはベニヤマザクラが宿り木(寄生)していたが、25年ほど前、春の湿った重い雪によって折れ、今はない。
 西金砂神社は、近江国(滋賀県)の日吉大社からはるばる海路を使って分霊され、西金砂山に迎え祭ったとされる。
 72年に1度行われる磯出大祭礼では、この分霊を日立の水木浜まで運び、海水で清めて、五穀豊穣(ほう・じょう)などを祈る。氏子らでつくる田楽師が田楽を舞いながら、6泊7日の行程で西金砂神社―水木浜間の約80キロを往復する。近年は2003年にあった。次回は2075年3月下旬に予定されている。

〈12〉旧里美村のヤマザクラ(2011年10月26日)

k_img_render-11.php.jpeg幹や枝の一部が腐ってもなお太い枝を伸ばして葉をつけるヤマザクラ=常陸太田市大菅町

■山里に旬を告げる木

 車を降りると、あたりには、天日干しされた稲の香ばしいにおいがただよっていた。里川に流れ込む小川の脇の道をのぼる。
 茶畑越しに、スギの木に囲まれた「小室家のヤマザクラ」が目に入った。樹皮はこけむして深緑色に染まり、古木の風格を備えている。旧里美村(現常陸太田市)の「村の花」に指定され、村内に数あるヤマザクラのなかでも最長寿とされる。
 地元の人によると、戦後間もなく周囲にスギが植えられ、樹勢は徐々に衰えた。そこで1998年、腐りかかった幹や枝に治療が施された。モルタルが埋め込まれた痕は痛々しいが、それでも支え木もなしに重そうな枝を四方八方に伸ばしている。
 所有者の小室茂雄さん(86)=常陸太田市大菅町=は幼少期から、ヤマザクラがある風景を当たり前だと思って暮らしてきた。
 大菅は水府タバコの名産地。小室家も75年まで栽培していた。タバコは3月末に種をまき、7~8月に摘み取る。当時、わらぶき屋根の家の梁(はり)に竹竿(たけ・ざお)を渡して、タバコの葉を干した。
 つるしたタバコの葉を燻(いぶ)すときに使ったのが剪定(せん・てい)したヤマザクラの枝だった。燃えにくく炎が上がらないため重宝したという。
 小室さんは「床一面に枝が敷き詰めてあった。煙のにおいが記憶にあるなあ」と懐かしむ。
 小室家のヤマザクラは毎年4月20日ごろに花を咲かせる。開花時期にワラビやゼンマイが採れることから、地元の人たちに「旬を告げる木」と呼ばれて親しまれている(おわり)。

■ 大クスノキの樹勢回復へ樹木医らが作業/香川県丸亀市

2011/01/26 (四国新聞社)

 香川県丸亀市飯山町の八幡(はちまん)神社(秋山哲大宮司)境内にある大クスノキの樹勢が衰えていることが分かり、氏子有志らが26日、“治療”作業を実施。参加者は地域を見守る神木の回復に向け、土壌の改良に汗を流した。
 クスノキは高さ約17メートル、幹回り6メートルほどの巨木。旧飯山町史などによると、安土・桃山時代から同神社にあり、樹齢は400年を超えるという。
 2004年に県から「香川の保存木」の指定を受け、その直後に県みどり保全課職員が現状を視察。その際に葉の量が少なく、色も薄くなっていることなどから、木の衰えが確認された。
 「大クスノキは地域のシンボルであり、守り神のような存在。みんなで何とかしようと考えた」と氏子責任総代を務める岩崎正朔さん。住民らで協議し、有志による治療作業を昨年スタートした。
 作業は4年計画で、クスノキの周辺の土壌を4区画に分けて改良する。2年目の今年は約20人が参加。木の北西約30平方メートルをスコップやハンマードリルで50センチほど掘り返し、空気や水をよく吸収する素材を交ぜた新しい土砂と入れ替えた。
 同保全課主任で樹木医の譜久里泉さんは、「昨年の作業から1年たち、樹勢回復の兆しが見えるようになった。土壌改良を続けることで、さらに元気になっていくのでは」としている。

■ 「大クスノキ」公園のベンチに生まれ変わる 千駄木の須藤公園

2011年1月17日(東京新聞)

 樹齢三百年超ともいわれながら、樹勢が衰えたため「倒れたら危険」として伐採された「須藤公園」(文京区千駄木)の大クスノキが、生まれ変わった。木の香漂う丸太のテーブルとイス、幹の曲がり具合を生かしたぬくもりのあるベンチは、長年親しんできた周辺住民の「せめて形を変えて残して」という願い通り、公園内のクスノキが生えていた場所に置かれた。 (井上圭子)
 伐採されたクスノキは二本とも高さ約十五メートル。大人が抱えても両手が回らない太さで、古い住民には「そこにあるのが当たり前」の心強い存在だった。
 「強風で倒れる可能性が高い」として区は伐採を決めたが、住民の要望を受けて区は説明会を開き、具体的な希望を聞いた。
 「公園でくつろげるベンチを」「樹木の研究のため幹を分けてほしい」「子どもたちのためにおもちゃの積み木を」「葉を芸術作品の材料に」など、さまざまな意見が出た。切りたてのクスノキはにおいが強いため「切り株で作った臼で餅つきをしたい」という要望は実現できなかったが、それ以外はほとんどかなえられた。
 直径七十センチの丸太のテーブル一つ、直径約四十~五十センチの丸太のスツール五つ、長さ約三メートルの丸太のベンチ一つは、園内のクスノキが生えていた場所に設置された。近隣に住む保育士は「保育園の子どもたちに積み木を作ってあげたい」と中ぶりの枝を、東京芸術大学の学生は「作品の材料に」と葉のついた枝を、東大の研究者は「研究材料に」と幹に寄生したキノコ「サルノコシカケ」を持ち帰った。
 残ったのは一・五~二メートル、直径約四十センチの材木三本。このうち一本は世田谷区の木材加工技術を学ぶ団体「木挽(こび)きの会」に預けて板に。残り二本も製材所で板にし、区内で銘板などに使うという。
 「各部材を適した用途に再利用できた」と文京区みどり公園課の小沢信雄課長。近隣で電気設備業を営む渡辺喜一郎さん(70)は「思い入れのある木をうまく生かせて良かった。風情があっていい」と感慨深げに話す。

■ クスノキ電線に接触 和歌山県白浜町で3500世帯が停電

2009.8.10:紀伊民報

 和歌山県白浜町十九渕、日神社敷地内のクスノキが倒れかけ、枝が国道42号沿いの電線に接触しているのが9日未明分かった。この影響で、周辺の約3500世帯が、午前2時9分から午後0時44分まで約10時間半停電した。このクスノキを撤去するため、同町庄川口交差点から富田橋交差点までの国道42号約2キロが、同日午前9時40分から午後0時43分まで通行止めとなった。
 紀南河川国道事務所によると、同日午前3時28分に、関西電力から国道沿いのクスノキが倒れかかっていると連絡があった。
 クスノキ24 件は高さ約15メートル、幹周り約1・5メートル。放置すると国道をふさぐ恐れがあるため、同事務所が大型クレーン2台を使い、枝を少しずつ切断しながら木を撤去した。
 通行止めの間、車両は国道沿いの富田川対岸の町道や、同町才野方面に抜ける県道を利用した。

■ 幹や枝葉を入念にチェック -クスノキ健康診断 香川県

2006/09/27 (四国新聞社)

 香川県高松市のシンボルとして親しまれる中央通りのクスノキ並木の健康診断が二十七日、始まった。道路を管理する四国地方整備局香川河川国道事務所が実施。職員と樹木医が、倒木や枝折れの原因となる幹の腐朽や枝葉の状態を入念にチェックした。
 中央通りには百九十七本のクスノキがあり、同事務所は五年ごとに全木を検査。状態の異なる指標木二十七本については、毎年健康診断を実施している。
 今年は栗林公園前の歩道工事で移植した三本を除く全指標木の健康診断のほか、指標木以外もすべて簡易な樹勢診断を実施。状態を細かくチェックする。
 この日は樹木医ら五人が、琴電高松築港駅前から寿町までの約四十本の幹の腐朽状況や枝葉密度、コケの生え具合を目視調査。詳細な樹形も記録した。診断後は状態に応じて施肥や土の入れ替え、枯れ枝の伐採を行う。
 樹木医の川西玉夫さん(五六)は「二〇〇四年の高潮でまだ根が弱っている木も多く、こまめな健康管理が大事」と話していた。

<巨樹に関するHP>

私が日々眺めたり参考にしているHPです。

【栃木・群馬版】

【全国版】

本も出版している巨樹専門家(?)です。