予防接種行政に影響を与えたワクチン関連事件

予防接種行政の変遷に影響を与えたワクチン関連事件について調べてみました。

■ ワクチン関連事件の年表
• 1948:京都・島根ジフテリア予防接種禍事件
• 1961:ポリオワクチン導入の経緯
• 1970:種痘禍(~1993:予防接種禍訴訟)
• 1975:DPT一時見合わせ
• 1979:インフルエンザワクチン学童集団接種問題
• 1993:MMR中止事件
・ 1994:生ワクチンのゼラチンアレルギーが問題に
• 2005:日本脳炎ワクチン積極的勧奨差し控え
• 2011:Hib/肺炎球菌ワクチン同時接種後死亡例
• 2011:ポリオ生ワクチン接種後のVPAA
• 2013:HPVワクチン接種後の慢性疼痛問題

まだすべての項目の記載はありませんが、順次、調べて埋めていく予定です。

(予備知識)真の副反応とは?

􀷋􀴛􀤤􀞿􀝨􀘦􁷥􀮁􀞁􁷥􀳅􀥑各事例に行く前に、予備知識を確認しておきましょう。

■ 􀞿􀬕􀏶􀌲􀥖予防接種事故の認識の変遷 種痘禍以前
• 予防接種法が制定された時期までは、被害者の「特異体質」として処理されていた。
• 政府が強制する以上「ゼロリスク」なものでなければならないという考え方

まず、予防接種事故の認識の変遷について。
予防接種法が制定された時期までは、予防接種後に問題が発生しても、被害者の「特異体質」が原因とされ、「副作用・副反応」という認識はされませんでした。
これは、政府が強制する以上ワクチンに副反応があってはならないという「ゼロリスク」という考え方に由来します。
なんだか、某国家の原発政策に似ていますね。

􀢩􁷥􀲑􀯷􀏄􁷟􁷦

■ 白木四原則
1. ワクチン接種と接種後の事故(疾病)が時間的、空間的に密接していること
2. 疾病について、ワクチン接種以外の病因が考えられないこと
3. 接種後の事故と後遺症が原則として質量的に強烈であること
4. 事故発生のメカニズムが、実験、病理、臨床などの観点からみて、科学的、学問的に実証性や妥当性があること
1970年頃の種痘禍によりワクチンには副反応が存在することが認識されるようになりました。

予防接種と健康被害の因果関係を判定するのは現在でも困難を伴います。
科学的なメカニズムがはっきりしない例が多いからです。
どのような基準で副反応と認めるかが常に議論されてきました。
東京予防接種禍訴訟の際に採用された考え方が「白木四原則」です。
ただし、4の「科学」は日進月歩の発展を続けており、その当時は妥当性があっても後に冤罪であることが判明した例があります。
つまり、白木四原則では“紛れ込み事故”を排除できないのです。
白木博次(神経病理学の世界的権威)

■ 「百日咳ワクチンによる脳症」はドラベ症候群だった
• ワクチン接種後に発熱・痙攣を起こし後遺障害が残った例
• 1975年に問題となりDPT接種見合わせの原因になった
• 後年の遺伝子解析により、ほとんどの患者さんはドラベ症候群と判明

一例として、「百日咳ワクチンによる脳症」を取りあげます。
百日咳ワクチンの副反応で最も重症型は脳症であり、これが1975年のDPTワクチン中止の引き金になりました。
ワクチン接種後に発熱し、痙攣を起こし、脳に後遺障害が残るという症状です。
しかし、近年の遺伝子解析により当時問題になった百日咳ワクチンによる脳症は、そのほとんどがDravet症候群であり、ワクチンにとっては冤罪だったことが判明しているそうです。

<参考>
・Effects of vaccination on onset and outcome of Dravet syndrome: a retrospective study.Lancet Neurol. 2010 Jun;9(6):592-8.

􁸳􁹓􁹃􁴮􁽻􁾩􁾘􁾭􁾜􁾫􁴯􀡕􀙍􀖬

■ ドラベ(Dravet症候群)=乳児重症ミオクロニーてんかん
• 乳児期に発症する難治性てんかん
• 1歳前に発熱時のけいれんで発症
• 1歳頃から精神運動発達遅滞が顕在化
• 原因:Naチャンネル遺伝子変異

ドラベ症候群は従来「乳児重症ミオクロニーてんかん」と呼ばれてきた病気であり、小児科医の私にはこちらの方がなじみがあります。
乳児期に発症する難治性てんかんで、1才までに発熱で誘発されるけいれん(いわゆる「熱性けいれん」)で発症します。その後けいれんを頻発するようになり、それまでの問題がなかった発達も、1歳頃から遅滞・遅延が顕在化してきます。

つまり、熱性けいれんを起こしてから発達遅滞が始まる病気です。
その熱性けいれんのきっかけが、たままた百日咳ワクチンによる発熱だった場合、どうなるでしょうか。
必然的に「ワクチンのせいでこうなった」と思い込むのは無理ありません。

しかし、近年の科学の発達で、遺伝子分析により意外な事実が判明しました。
Dravet症候群(乳児重症ミオクロニーてんかん)の遺伝子解析で、ナトリウムチャンネルの遺伝子変異(70~80%にSCN1Aのヘテロ変異を認め、逆にSCN1A異常の90%以上が本症候群)であることが判明しました。

ある医学者が、百日咳ワクチンによる脳症と臨床経過が似ていることに気づき、その患者さん達の遺伝子検査を行ったところ、ほとんどの例で「Naチャンネル遺伝子変異」が見つかったのです。

1970年代にはこの事実はまだ分かっていませんでした。
白木四原則の4番目「事故発生のメカニズムが、実験、病理、臨床などの観点からみて、科学的、学問的に実証性や妥当性があること」は、その当時の科学・学問レベルに頼るしかありませんので、このような冤罪が排除できないのです。
􀢩􁷥􀲑􀯷􀏄􁷟􁷦白木四原則に取って代わる、副反応の定義はないのでしょうか。

■ 薗部四原則(仮称)
1. 臨床試験や疫学的分析で未接種者より接種者に多いことが証明される
2. 接種群だけに認められる
3. 経過に一定の傾向を認め医学的に説明可能
4. 生ワクチンでは、体内からワクチン病原体が検出される

“紛れ込み”が排除可能な定義として、元日赤医療センターの薗部先生が講演で話されている内容を暫定的に“薗部四原則”として紹介します。
こちらは「疫学的手法」を導入している点が注目されます。これは、科学的なメカニズムが不明な段階でも、因果関係を間接的に証明可能な方法です。
例えば、ある健康被害とワクチンとの因果関係が疑われた場合、そのワクチンを接種した10万人と、接種していない10万人とで、症状の発生率を比較するのです。もしワクチンが原因なら、接種群の発症頻度が高くなるはず。比較して差がないなら、ワクチンとは関係ないと判断できます。
これは、1990〜2000年代に話題になったMMRワクチンと自閉症の解析にも用いられました。デンマークからの報告で、53万人を対象に検討し、接種者と未接種者の間に発症頻度の差がない事実をもって因果関係なしと証明したのでした。

※ 元スライド(「よい予防接種とは」)より
• 自然発生疫学調査やプラセボ(偽薬)との比較 調査で、ワクチン接種群に優位に多い
• 接種群だけにみられる
• 接種のたびに同じことが再現する
• 起こった事象(発症時期、症状、検査値など) に一定の傾向があり、医学的に説明可能
• 通常無菌の部分からワクチン病原体を検出

■ 薗部四原則(仮称)に当てはまる事例
‣ 免疫不全患者での生ワクチン病原体の発症
(例)BCGワクチンによる播種性結核
‣ ゼラチンや卵白などによるアナフィラキシー・ショック
‣ 経口ポリオ生ワクチンによる麻痺(VAPP)

薗部四原則に当てはまる事例を3つ挙げます。
どの項目も、医学者なら客観的・論理的に納得できる内容です。

※ VAPP :vaccine−associated paralytic poliomyelitis

■ HPVワクチンは薗部四原則(仮称)を満たすか?
× 臨床試験や疫学的分析で未接種者より接種者に発生が多いことが証明される
× 接種群だけに認められる
× 経過に一定の傾向を認め医学的に説明可能
 (生ワクチンでは体内にワクチン病原体が検出される)・・・HPVワクチンは不活化ワクチン

現在問題になっているHPVワクチンの副反応は、薗部四原則を満たすでしょうか?
・疫学的分析では、未接種群と接種群に症状発生の差がないという報告が複数存在します(参考1&2)。
・接種群だけに認められる症状ではありません。
・某大学教授が提唱している「HANS症候群」(参考3)では、接種後症状が発現するまでの時間は限定されていません。つまり接種30年後の痛みでも診断基準を満たしてしまいます。100年後を考えると「死亡率100%」になってしまいます。
以上より、私には副反応と認定できる要素が乏しいと思われますが、現在も議論中であり結論は出ていません。
私も真実を知りたい・・・訴訟になりましたので、これ以上のコメントは控えさせていただきます。

<参考>

1.子宮頸がん予防のためにHPVワクチン副反応問題の早期解決を(2015年5月11日:MTPro

1505019_fig.jpg

2.「HPV(子宮頸がん)ワクチンに関する名古屋市の大規模調査」(2015.12.22:QLifePro

22-05-3.png

3.HPVワクチン関連神経免疫異常症候群(HANS)の診断予備基準案(2014)

子宮頸がんワクチンの副反応「神経免疫異常症候群」、日本経済新聞、2014年11月25日より)

(I)子宮頸がんワクチンを接種(接種前は身体的・精神的な異常なし)
(II)以下の症状が複数ある
  1)身体の広範な痛み
  2)関節痛または関節炎
  3)激しい疲労が6週間以上続く
  4)心身・精神症状(記憶障害、突然の眠気、呼吸苦、脱力、環境過敏)がある
  5)脳画像の異常
(III)以下の症状を伴う場合がある
  1)月経異常、2)自律神経異常(めまい、頻脈、動悸、冷や汗など)、3)髄液異常

→(I)+(II)3項目以上、(I)+(II)2項目+(III)1項目以上でHANSと診断

■ ワクチンによる健康被害の帰責
• 接種した医師の過失(医師責任)
• ワクチン製造に関わる過失(業者責任)
• ワクチン選定や検定が不備(検定責任)
• 予見不能のやむを得ない事態(強制責任)

ワクチンによる健康被害が発生・認定された場合、その責任の所在が問われます。
それレベルはスライドのように大きく4つに分けられます。
生産から接種までの経路で問題になる事項をスライドに示します。

医師責任の例として、ワクチン誤接種が挙げられます。
業者責任の例として、1948年の京都・島根ジフテリア予防接種禍事件や、1993年のMMR中止事件が挙げられます。
検定責任(厚生労働省)の例は適当なものが見当たりませんでした。
強制責任(国)の例としては、ポリオ生ワクチン接種後のVPAA問題が挙げられます。

(1948年)京都・島根ジフテリア禍事件

予防接種事故として、最初に京都ジフテリア予防接種禍を取り上げます。

■ 概要
• 1948(S23)年に発生
• 「大阪日赤」が製造した1013号ロットに無毒化していないトキソイドが混入
 ‣ ワクチン製造過程の過失
• 接種した乳幼児が84名死亡
 ‣ 京都で68名、島根で16名

この事件は1948年、奇しくも予防接種法が制定された年に発生しました。
「大阪日赤」が製造した1013号ロットに無毒化していないジフテリア・トキソイドが混入し、このワクチンを接種した乳幼児が京都で68名、島根県で16名の合計84名が死亡しました。

■ ジフテリアとは?
• ジフテリア菌による飛沫感染
• 致死率:約10%(窒息死、中毒死)
• 症状:真性クループ
 ‣ 発熱、咽頭痛(偽膜形成↓)、嗄声、呼吸困難
 ‣ 合併症:毒素による心筋炎、末梢神経炎
• 日本の発生ピークは1941年(9.4万人)

DiphtheriaThroat.jpg国立感染症研究所HPより)

ここで、ジフテリアという感染症について確認しておきましょう。
細菌による飛沫感染で流行し、致死率約10%という怖い病気です。
死因は、乳幼児では窒息死、毒素による麻痺症状が主なものです。
症状は「真性クループ」と呼ばれる上気道の粘膜障害と、咽頭症状が落ち着いた頃に発生するジフテリア毒素による合併症があります。
日本における発生のピークは1941年の94000人でした。

􀔼􀫲􀂢􀬅􀛀􁸢􁸿􁸰􁹔􁸌􀏶■ 「京都・島根ジフテリア禍事件」の責任追及論
• 医師責任論 :医師のミス
業者責任論 :製造過程のミス
検定責任論 :検定ミス、制度の問題
• 強制責任論 :副反応の存在認識

この事件の責任追及はどのようになされたのでしょうか?
記録を分析すると、業者責任論を前面に出しつつ、その裏では検定責任論による再発防止策が施されて事件に幕が下ろされました。

■ 「京都・島根ジフテリア禍事件」の補償問題
• 当初、国・京都府・京都市は治療費名目で見舞金支出を検討
• 被害者側は団体を結成し訴訟準備
‣ 「ジフテリア注射禍遺族会」「被害者同盟準備会(後に予防接種被害者同盟)」
• 厚生省が遺族会を説得し訴訟回避

この事件の補償問題の経緯です。
当初、当局は治療費名目で見舞金支出を検討しましたが、その額が低いため、被害者側は団体を結成して訴訟を準備しました。
その後厚生省が遺族会を説得して訴訟を回避しました。
結果として、この事件により予防接種法の感染症対策重視は揺らぎませんでした。

(1961年)ポリオワクチン導入の顛末

■ 概要
􁹇􁹔􁸔􀸚􀚊􁷟􁹙􁸙􁸫􁹝• 戦後年間1000人規模で発症し1950年代後半増加して1960年に5606名とピーク
• 先に不活化ワクチン導入したが流行拡大を阻止できず
• 未承認の生ワクチンを緊急輸入することで流行を制圧

ポリオという病名は、現在は予防接種関連でしか耳にしなくなりましたが、第二次世界大戦後は年間1000人規模で発症し、1950年代後半増加して1960年には5606名とピークを迎えました。
ご存じの通り、ポリオに対するワクチンは不活化と生の2種類が存在します。
日本では、当初不活化ワクチンを導入したものの流行拡大を阻止できず、世論の高まりに押されて未承認の生ワクチンを緊急輸入することで流行を制圧したという経緯を辿りました。

􁹇■ ポリオとは?
• 糞便による経口感染
• 症状(不顕性感染率:90-95%)
 ‣ 不全型(4-8%)、
 ‣ 非麻痺型(0.5-1%)
 ‣ 麻痺型(0.1%)→ 死亡率約4%、後遺症率約50%
• 近年、ポリオ後症候群(PPS)が問題化

ここで、ポリオという病気について再確認しておきましょう。
感染経路は、糞便による経口感染です。
不顕性感染率が90-95%と高く、実は感染しても無症状で終わる例がほとんどです。
発症した場合、その症状より不全型・非麻痺型・麻痺型に分類されます。
この中で麻痺型が最重症で、死亡率4%、後遺症残存率が50%です。
近年、一旦は症状が落ち着いたポリオ患者さんが40歳以降に筋肉疲労を起こすポリオ後症候群(PPS)が問題になっています。􁵼􁷛􁷥􁹇􁹔􁸔􁹙􁸙􁸫

■ 2つのポリオワクチン
1.不活化ワクチン
• サルの腎細胞培養法で増殖したウイルスをホルマリンで不活化
• 米国でソーク(Salk)らが開発(1955)
• 注射製剤で生ワクチンに比べて高価
• 血中抗体はできるが腸管免疫はできず
 ‣ 発症阻止するが、流行拡大阻止できず

ポリオ・ワクチンは生と不活化の2種類が存在します。
まずは不活化ポリオワクチンの話です。
ソークという学者が開発したもので「ソーク・ワクチン」とも呼ばれます。
注射製剤で生ワクチンに比べて高価です。
血液中の抗体はできますが、分泌型IgAが担う腸管免疫はできないため、発症を阻止するものの、流行拡大を阻止する能力はありません。􁵼􁷛􁷥􁹇􁹔􁸔􁹙􁸙􁸫

■ 2つのポリオワクチン
2.不活化ワクチン
• ポリオウイルス継代培養により弱毒化
• セービン(Sabin)らが開発(1961)
• 飲むワクチンで不活化と比べて安価
• 血中抗体と腸管免疫の両方獲得
 ‣ 発症阻止&流行阻止可能

次は経口生ワクチンです。
セービン博士が開発し、不活化ワクチンと比べて安価です。
こちらは血中抗体と腸管免疫の両方を獲得できますので、発症阻止と流行阻止の両方の能力があります。

■ 1960年のポリオ大流行
• 北海道の夕張炭鉱に端を発し、北海道全体で1609名発症(106名死亡)
• これを契機に九州・東京~全国へ流行が拡大し患者数約6000名を数え、予防接種が緊急の検討課題になった

日本では1960年にポリオが大流行しました。
北海道の夕張炭鉱の労働者村に端を発し、北海道全体で1609名発症し、109名の死者が出ました。
これを契機に九州・東京でも流行が始まり、日本全国へ拡大しで患者数6000名を数え、予防接種が緊急の検討課題になりました。

■ ポリオワクチン導入 〜 最初に採用したのは不活化ワクチン
• 「急性灰白髄炎緊急対策要綱」(1960年)
 ‣ 予防接種法の枠組みを使用
 ‣ 経費は国庫補助金から予備費という形で
 ‣ 勧奨接種という位置づけ
• 法改正なしの「特別対策」として不活化ワクチンを導入

ポリオ大流行を受けて、日本政府は1960年に「急性灰白髄炎緊急対策要綱」を制定して「勧奨接種」という形を取り、「特別対策」としてワクチンの導入を検討しました。
このとき採用したのは生ワクチンではなく不活化ワクチンでした。

■ ポリオワクチン、不活化 vs 生
1.不活化ワクチンの限界
• 1961年に不活化ワクチンが定期接種化
 ‣ ワクチン不足(対象者増加と検定落ち)
 ‣ 2回接種で流行時期を迎え発症者が増加し、3回接種者にも発症例出現
• 不活化ワクチンでは流行制圧不能
 ‣ しかし経口生ワクチンは未認可

そして1961年に不活化ワクチンが定期接種化しました。
しかし、希望者の増加とワクチンの検定落ちでワクチン不足となり、また接種者からも発症者が報告されるようになり、不活化ワクチンでは流行制圧できないことが明らかになりました。
しかしこの時点では、経口生ワクチンは日本では未認可でした。􀱪􀑪􀏡􁷂􁴖􀤀􁹙􁸙􁸫􁹝􁷂

■ ポリオワクチン、不活化 vs 生
2.生ワクチンへの期待
• NHK「ポリオ日報」(1961年)
 ‣ 毎日のポリオ患者発生数をテレビで連日報道
• 方針(上田哲氏)
 1. ポリオ流行の危険性を明らかにする
 2. ワクチン接種を呼びかける
 3. 「根絶」を目標に掲げる

巷では流行阻止効果の高い経口生ワクチンへ期待が高まりました。
このときに大きな影響を与えたのが上田哲氏が主導したNHKの「ポリオ日報」という番組です。
毎日のポリオ患者発生数を日報の形で連日テレビ放送をすることにより、ポリオ流行の危険性を明らかにし、ワクチン接種を呼びかけ、「根絶」を目標に掲げる、という強力な啓蒙活動を行い、まさに予防接種行政のお手本ともいうべき内容でした。
現在でも参考になりそうです。􀱪􀑪􀏡􁷂􁴖􀤀􁹙􁸙􁸫􁹝􁷂

■ ポリオワクチン、不活化 vs 生
3.厚生省内の対立
• ポリオ流行を阻止したい公衆衛生局
 ‣ 薬事上問題があったとしても生ワクチンの輸入・使用はやむを得ない
• 医薬品の安全性を重視する薬務局
 ‣ ワクチンを薬事法に定めた手続きを経ずに使用するのは認められない

しかし当時、生ワクチンは未認可です。
厚生省内ではポリオ流行を阻止したい公衆衛生局と、医薬品の安全性を重視する薬務局で内部対立が生じました。
言葉を換えると、感染症対策 vs 副反応対策のせめぎ合いということになります。

ポリオワクチン、不活化 vs 生
4.実験投与から緊急輸入へ
• 国内に備蓄された35万人分の生ワクチンを“実験投与”という形で接種
• 1961年6月にポリオ患者が1000人を突破、生ワクチンを求める陳情団が厚生省に押しかけた
• 超法規的措置によりソ連・カナダから1300万人分が緊急輸入され、1ヶ月で接種を完了し、患者数は激減

政府は国内に備蓄された35万人分の生ワクチンを“実験投与”という形で接種開始しましたが、焼け石に水でポリオの流行はおさまりませんでした。1961年6月にポリオ患者が1000人を突破したタイミングで、生ワクチンを求める陳情団が厚生省に押しかけました。
このように世論に押しきられた形で、超法規的措置によりソ連・カナダから1300万人分が緊急輸入され、1ヶ月で接種を完了し、患者数は激減したのでした。

􁹇􁹔􁸔􀭋􀟾􀒕􀞤􀣞スクリーンショット 2016-04-10 13.36.42.png
(小児感染免疫 Vol.19 No.2, 2007より)

ポリオ届出患者数の推移をグラフ化したものです。
経口生ワクチン導入後に患者数が激減し、ワクチンの強力な効果を読み取ることができます。􀱪􀑪􀏡􁷂􁴖􀤀􁹙􁸙􁸫􁹝􁷂

ポリオワクチン、不活化 vs 生
5.生ワクチン定期接種化
• 1964年に予防接種法に定めるポリオワクチンを不活化→ 経口生ワクチンへ
• 感染症対策 vs 副反応対策の結末
 ‣ 最終的に前者を採用して成功(流行制圧)
 ‣ 「マスメディア」「世論」が「政治決断」に大きく影響し「科学的根拠」は・・・

日本政府は1964年に予防接種法に定めるポリオワクチンを不活化ワクチンから経口生ワクチンへ変更しました。
このポリオ大流行~ワクチン導入のエピソードは、感染症対策重視の政策を採用し、成功した事例と捉えることができます。
その際に「マスメディア」「世論」が「政治判断」に大きく作用しました。
しかし、科学的根拠がなおざりにされた感が否めません。
もし、生ワクチンに予測不能な強い副反応が出た場合、どうなったのでしょうね。􁽗􁽗􀞿􀬕

(1970年)種痘禍

種痘ワクチンについては、1940年代から接種後脳炎の存在が知られていましたが、世間に明らかにはされていませんでした。強制種痘という形式を取りながらも接種率がなかなか上がらなかった原因は、副反応の強さが巷での噂になっていたことも一因のようです。

• 1970年:種痘ワクチン(武田薬品)のH227/226に副反応が報告され、これをきっかけに社会不安が広がり全面中止
• 被害者家族が被害救済制度の導入を政府に強く迫った。

1970年に種痘ワクチンのH227/226ロットに副反応が報告され、これをきっかけに社会不安が広がり、行政は全面中止の措置を取りました。
被害者家族が被害救済制度の導入を政府に強く迫りました。􁽗􁽗􀞿􀬕􀏶

■ 種痘禍
2.当初の厚生省の対応
• 「種痘の実施について」という通知
 ‣ 接種量減量、予診強化(質問票導入)
• その後も副反応報告が続出し、厚生省は通知内容を変更して方針転換
 ‣ それまでゼロリスクで通してきた姿勢を変え「副反応は不可避」ことを認めた

厚生省の対応は、まず「種痘の実施について」という通知を出し、接種量減量と予診の強化を指示しました。
現在使われている予診票はこのときに始まったのですね。
しかし、その後も副反応報告が続出し、厚生省は通知内容を変更して方針転換せざるを得ませんでした。
そしてはじめて、ゼロリスクで通してきた姿勢を変え、副反応が不可避であることを認めたのです。􀞿􀬕􀏶

■ 種痘禍
3.接種存続の可否の検討
• 天然痘は致死率の高い感染症であるが種痘も副反応の強いワクチン
• 1971年:英国・米国が強制種痘を廃止
• 1976年:接種見合わせ(事実上中止)
• 1980年:法令上定期接種を廃止

種痘を存続すべきか否かの検討が始まりました。
天然痘は致死率の高い感染症ですが、種痘も副反応の強いワクチンですので、簡単には答えが出ませんでした。
そこに1971年、イギリスとアメリカが強制種痘を廃止したというニュースが入り、種痘中止へと流れは傾きました。

􁽻􁾇􁾋􀤤􀞿􀍔􀝰􀘃􀚝􁸆􁷒􀝨􀗩

(1975年)DPT接種一時見合わせ事件

􁴮􁽨􁽰􁽮􁽬􀮉􁴯DPT(ジフテリア、百日咳、破傷風)ワクチンは、現在も四種混合(DPT-IPV)の一部として接種されています。
その昔、DPTワクチン副反応が問題になり、一時見合わされたことがありました。
当時の百日咳ワクチンは現在とは異なる「全菌体ワクチン」と呼ばれるもので、発熱の副反応が50%以下と記録に残っていますから、現在の肺炎球菌ワクチンより高率に発熱を認めたと思われます。

■ 経緯
• 1974年:DPT接種後2名が死亡しワクチンが原因であると結論
• 1975年2月:DPT接種一時見合わせ通知
 ‣ 同時に個別接種への移行、接種時期の緩和・拡大
• 1975年4月:DPT接種再開通知

1974年にDPT接種後に2名が死亡しワクチンが原因であると結論づけられました。
これを受けて政府は、DPT接種を一時見合わせる通知を出すとともに、個別接種への移行、接種時期の緩和・拡大を図りました。
検討の結果、ワクチンに問題なしとして2ヶ月後に接種再開の通知を出しました。
なんだか、Hib&肺炎球菌ワクチン同時接種後の措置・経過に似ています。

■ 中止の代償〜百日咳が流行し合併症で乳児死亡
• 接種再開通知後も、1981年に改良精製ワクチンが出るまで接種率が低迷し、百日咳患者数増加
 ‣ 1979年には13000例発症し20-30例死亡

しかし再開通知後も、1981年に改良された精製ワクチンが出るまで接種率は低迷し、その間百日咳患者が増加しました。
これは予防接種行政のジレンマを象徴するエピソードです。
ワクチンを接種すれば副反応が問題となり、ワクチンを中止すれば感染症が流行し、どちらにしても国は国民から攻められるという構図。
結果として、百日咳が流行し数十人単位の乳児死亡を出すことになりました。

スクリーンショット 2016-04-10 13.53.22.png
(「百日せきワクチンに関するファクトシート」国立感染症研究所、平性22年より)

(1979年)インフルエンザワクチン学童集団接種中止問題

􀑚􀬴􀟦􀨦􀤤􀞿􀶔􀧮次にインフルエンザワクチンの学童集団接種を取り上げます。

1.概要
• ワクチンの副反応ではなく、有効性に疑問が投げかけられた事例
• 集団接種は1960年代以降実施され、1976年の予防接種法改正時に強化
 ‣ 法定外・特別対策→ 臨時接種・義務接種対象
• しかし接種率は70%に達せず流行反復

この問題は、ワクチンの副反応ではなく、有効性に疑問が投げかけられた事例です。
学童集団接種は、1960年代以降に実施され、1976年の予防接種法改正時に設定が強化されました。具体的には、法定外接種・特別対策扱いが、臨時接種に指定され義務接種対象疾患になったのです。
しかし2回接種完遂率は70%に達せず、流行を反復したため、いつしかワクチンの有効性を疑う声が上がるようになりました。

2.前橋市が最初に中止措置
• 1979年に発生した予防接種事故をきっかけに集団接種を見合わせ、以後中止
• 前橋市医師会はインフルエンザ研究班を立ち上げ、接種中止後の流行調査を実行
 ‣ 5年間の調査の結果、接種地域(高崎市)と非接種地域(前橋市)の間で発症率に差がないことを報告

最初に接種中止に踏み切ったのは前橋市です。
1979年に発生した予防接種事故をきっかけに集団接種を見合わせ、以後中止を継続しました。
それだけにとどまらず、前橋市医師会はインフルエンザ研究班を立ち上げ、接種中止後の流行調査を実行しました。
5年間の調査の結果、接種地域と非接種地域の間で発症率に差がないことが報告されました。􁸎􁹝􁸿􁹕􁸒􁹝􁸠􀟦􀨦􀤤􀞿􀶔􀧮

3.厚生省の対応
• 1986年、厚生省は同意接種(保護者の同意を得る)への変更を指示
 ‣ 予防接種の意義や効果について十分に理解を得るよう努力する
 ‣ 問診を従来以上に注意深く行う
 ‣ 問診票に保護者の意向を記入する欄を設ける
• この時点では任意接種=個別接種を躊躇

この動きを受けて、1986年に厚生省はインフルエンザワクチンを義務接種から同意接種への変更を指示しました。その内容とは、
・予防接種の意義や効果について十分に理解を得るよう努力する
・問診を従来以上に注意深く行う
・問診票に保護者の意向を記入する欄を設ける
などであり、現在使用している予診票の形式がここで完成したことが分かります。
しかしこの時点では強制接種・集団接種を固持し、任意接種・個別接種への変更には至りませんでした。

4.「同意接種」の意味とは?
• 強制接種にもかかわらず同意を必要とすることは、強制接種の放棄
• 保護者に最終的な判断を委ねることは保護者の責任を増し行政の責任を軽減
• 結果的に接種拒否が想定を上回り、予防接種の意義が消滅

「同意接種」の意義を考えてみましょう。
強制接種にもかかわらず同意を必要とすることは、強制接種の放棄と捉えることができます。
“責任”という視点で見ると、保護者に最終的な判断を委ねることは保護者の責任を増し行政の責任を軽減します。
接種率が少し減少するだけだろうという予測に反し、 結果的に、接種拒否が想定を上回り予防接種の意義が消滅してしまいました。

5.接種率低下とその影響
• 同意接種へ変更後、接種率は激減
• その後社会問題化したインフルエンザ
 ‣ 乳幼児のインフルエンザ脳症
 ‣ 高齢者施設での集団感染・死亡事例

接種率低下の影響は、乳幼児のインフルエンザ脳症と高齢者施設での集団感染・死亡事例が社会問題化するという形で明らかになりました。

(1992年)予防接種禍訴訟判決

􀠺􀨐􀥰􀡥1970年の種痘禍は訴訟に発展しました。
この流れの口火を切ったのは小樽訴訟です。

1.小樽訴訟・その1
• 1970年に提起
 ‣ 生後6ヶ月男児が種痘により下半身麻痺と知能障害を発症
 ‣ 1982年(第一審)被害者勝訴
 ‣ 1986年(控訴審)被害者敗訴
• 1992年:最高裁で判決破棄・差し戻し
 ‣ 事実上、国の敗訴

生後6ヶ月男児が種痘により下半身麻痺と知能障害を発症し、1970年に提起されました。
1982年の第一審では被害者勝訴、1986年の控訴審では被害者が敗訴し、1992年の最高裁では控訴審判決を破棄し差し戻しされました。その理由として「特段の事情がない限り被害者は禁忌者に該当と推定すべき」という文言があり、事実上、国の敗訴となりました。􀷋􀴛􀤤􀞿􀏶􀥰􀡥

1.小樽訴訟・その2
• 判決のポイント
 ‣ 健康被害者は禁忌者に相当する
 ‣ 接種医が禁忌者を見逃した
 ‣ 国は禁忌を予見する情報や予診の機会を十分与えなかったため、国の責任である

􀷋􀴛􀤤􀞿􀏶􀥰

2.東京集団訴訟・その1
• 1973年:26(後に62)家族により提起
 ‣ 対象:種痘・インフルエンザ・ポリオ・百日咳・日本脳炎・腸/パラチフス
 ‣ 1984年(第一審)原告勝訴(損失補償論)
• 1992年(東京高裁)厚生大臣の「施策上の過失」と認定→ 上告断念

小樽訴訟に続き、1973年に東京集団訴訟が提起されました。
これは単一のワクチンを対象としたものではなく、いろいろなワクチンの副反応被害者が団結して起こした訴訟です。
1984年の第一審は原告が勝訴し、1992年の東京高裁では厚生大臣の「施策上の過失」と認定され、国は上告を断念しました。
これは大きなできことでした。
副反応の存在を認めただけでなく、国が副反応のあるワクチンを謝って使用したという責任論が初めて言及されたことになります。􀷋􀴛􀤤􀞿􀏶􀥰􀡥

2.東京集団訴訟・その2
• 判決内容:禁忌に関する行政責任
 ‣ 予診など集団運用の不備
 ‣ 医師に対する副反応知識の周知不徹底
 ‣ 一般国民への周知不徹底
• 「不適切に行ったから事故が発生した」と行政責任に言及

東京集団訴訟の判決内容は、接種禁忌事項に関する行政責任を問いかけました。
予診など集団運用の不備、医師に対する副反応知識の周知不徹底、一般国民への周知不徹底などが指摘されました。
この訴訟で初めて「不適切に行ったから事故が発生した」と行政責任に言及しました。􀷋􀴛􀤤􀞿􀏶􀥰􀡥􁷥􀬊􀔼􀚘􀛯􀯵􀷋􀴛􀤤􀞿􀏶􀥰􀡥

3.その他の訴訟
• 1993年:名古屋訴訟で和解成立
• 1993年:大阪・福岡で原告勝訴

そのほかにも、各地の予防接種禍訴訟で国が負けるという事態が相次ぎました。
感染症対策重視が糾弾された政府は予防接種制度の見直しを迫られました。

(1993年)MMRワクチン中止問題

MMR(麻疹、おたふくかぜ、風疹)ワクチンは世界中で用いられているワクチンです。
しかし、現在の日本にあるのはMR(麻疹、風疹)ワクチンというもの。
なぜでしょう?
それは、当初MMRではじまったのですが、その中のおたふくかぜワクチンの副反応が社会問題化し、接種が中止され、その後MMR-M=MRワクチンとして再開されたという経緯があるのです。

あれから20年以上が経過し、そろそろ復活しそうな話を耳にするようになりました。
それがMMRなのか、MMR-V(+水痘)なのか、それともより多い混合ワクチンなのか・・・まだわかりませんが。

• MMRワクチンは1989年に使用開始、1993年に使用中止
 ‣ 開始直後から無菌性髄膜炎などの副反応報告があった
 ‣ 「保護者同意方式」によりすぐに中止せず
• ムンプスワクチンの問題
 ‣ 占部株(阪大微研)が悪い?→ 否定
 ‣ 製造方法が違法に変更されていた事実が発覚

MMRワクチンは1989年に使用を開始し、1993年に使用中止となった短命のワクチンです。
開始直後から無菌性髄膜炎などの副反応が報告されていましたが、「保護者同意方式」を取っていたためすぐには中止しなかったという特徴が挙げられます。
無菌性髄膜炎の原因はムンプスワクチンとされ、当初は採用した占部株がやり玉に挙げられましたがその後否定され、その後製造方法が違法に変更されていた事実が発覚しました。
2015-2016年の化血研騒動と同じ構図ですね。

ワクチンの恩恵は計り知れないものですが、扱い方を誤ると人間に害を与えることもあり得ます。
原発と同様の特徴です。
それにたずさわる人達は、細心の注意を払う必要がありますが、製薬企業の姿勢に甘さを感じるのは私だけでしょうか。

(2005年)日本脳炎ワクチン「積極的勧奨の差し控え」問題􀭸􀴮􀮘􀎰􁹙􁸙􁸫􁹝

日本脳炎ワクチンはHPVワクチンに先んじて「積極的勧奨の差し控え」の対象になったワクチンです。
新しい方法で作られたワクチンで5年後に再開されましたが、検証はなされたのでしょうか?
私が集めた情報の範囲で考えると、これは「冤罪」です。

■ 経緯
• 2003年:6件の副反応が報告
 ‣ ワクチン接種とADEM(急性散在性脳脊髄炎)との因果関係が否定できないと認定
 ‣ 副反応の原因物質(マウス脳)混入の可能性
• 2005年:厚生省は「日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨差し控え」を勧告

2003年に6件の副反応が報告され、ワクチン接種と後遺障害との因果関係が認められました。副反応の原因物質(マウス脳成分)が混入している可能性があるため、2005年に厚生省は日本脳炎ワクチン接種の積極的勧奨差し控えを勧告しました。

■ 対応とその後
• 保護者の判断に任せることにより接種責任を保護者側へシフト
• 2006年:熊本県で3歳児が日本脳炎発症

積極的勧奨差し控えは、接種を保護者の判断に任せることにより、副反応発生時の責任を保護者側へシフトする方策です。
そんな中、熊本県で日本脳炎ワクチン未接種の3歳児が日本脳炎を発症したというニュースが流れましたが、マスコミは副反応ほどには騒ぎませんでした。
このようの事例を経験するたびに感じることですが、副反応で死亡者が出るとマスコミは大騒ぎをします。しかしワクチンで防げるはずの感染症で死亡者が出てもマスコミは知らんぷり、というイメージが拭えません。
確かにヒトの悪口を書いた方が新聞や週刊誌は売れますから、商売という性質上、倫理性を求めるのは無理なのでしょうか・・・。

■ 評価
• 被接種者の権利は維持
 ‣ 安全性は国家検定で確保し定期接種を維持
• 接種の可否判断の権利も被接種者側に
 ‣ しかし被接種者は“思考停止”状態

􀭸􀴮􀮘􀎰􁹙􁸙􁸫􀤙􀕧􀫈􀒋􀠵􁷥􀛍􁷎􀙫􁶿行政が責任放棄したとも捉えられる「積極的勧奨差し控え」ですが、すべて“悪”なのでしょうか?
私はそうは思っていません。
まず、被接種者の権利は維持されていることに注目すべきです。
ワクチンの薬品としての安全性は国家検定で確保されています。定期接種のままなので、原則的に無料で接種できます。
そして、接種の可否判断の権利も被接種者側にあります。
しかし現実には、ここで“思考停止”状態となっています。
これは、あふれる医学情報から正しいものを見つけて判断する作業をいままで放棄してきたツケではないでしょうか。
予防接種のみならず、日本の健康教育の根本的な問題だと思います。

■ 検証
􀤙􀕧􀫈􀒋􀠵􁷥􀛍􁷎􀙫􁶿􁽤• 再開後も接種後ADEMは減ってはいない
• ワクチン接種後に起きたADEMの年間発生率(3/3,000,000)は自然発生のADEM(300/1,800,000)より少ない
• WHOも旧型日本脳炎ワクチンとADEM発生には関係がないと発表(2006年)

製造方法を変えた新しい日本脳炎ワクチンができて、接種が再開されました。
その後数年間のデータを見たことがありますが、接種後のADEMは同程度発生しているそうです。
ADEMの発生頻度は自然発生と差がない・・・つまり、接種群と未接種群で統計学的に差がないので、ワクチンとの因果関係は考えにくいという判断になり、マスコミも騒いでいないようです。
というか、いつでもこの類のデータを閲覧できるよう、厚生労働省にお願いしたい。