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<小児疾患関連記事>

 子どもの病気に関する記事を拾い読みしました。

■ 患者を生きる:川崎病(2012年1月:朝日新聞特集)

1 旅先で痛み、熱続き発疹も

 「ここ痛い」
 15年前のお盆休み。さいたま市の望月桂(もちづき・かつら)さん(48)は、「隆(りゅう)ちゃん」が首の後ろをさすっているのに気づいた。長男の隆太郎さん(19)が、3歳11カ月だったころだ。
 家族で温泉旅行中だった。初めは「寝違えたのかな」と思ったが、額を触ると熱っぽい。翌日、早めに帰宅して熱を測ると、39度を超えていた。
 お盆休みがあけるのを待って、近所の小児科クリニックに行った。解熱剤をもらったが、熱は下がらなかった。
 容体は時間を追うごとに悪くなった。いつもはおしゃべりの隆ちゃんが、ぐったりして食欲もない。手のひらや足、背中などに、平たくいびつな形の発疹も出始めた。「こんなの見たことない」。驚いて、翌日、再びクリニックに駆け込んだ。
 「川崎病という病気かも知れません」。近くの病院を紹介され、週が明けた8月19日に入院した。発熱してから6日目を迎えていた。発疹に加えて目も充血し、舌はいちごのように真っ赤。川崎病と診断された。
 川崎病は全身の血管が炎症を起こす原因不明の病気。5日以上熱が続き、皮膚や粘膜などに様々な症状が出る。すぐに、炎症を鎮める血液製剤「免疫グロブリン」の点滴が始まった。
 入院2日目には、鼻から胃にも管が通された。腸の働きが鈍くなり、おしっこやうんちがうまく出せなくなっていたため、管から胃の中身を出した。夫の武(たけし)さん(50)らと、交代で病室に泊まり込んだ。
 熱はなかなか下がらなかった。「大丈夫?」と呼びかけても反応が鈍い。顔も手も、ぱんぱんに腫れていた。「死んじゃう――」。胸がざわついて、居ても立ってもいられなかった。
 1週間ほどして、やっと熱が37.5度を下回り始めた。「湿布いやだ」「おなかすいた」とだだをこねる様子に、ホッと胸をなで下ろした。間もなく、鼻から入れていた管が抜けた。
 「炎症が重かったので、心臓の血管に後遺症が残るかもしれません」と、医師が言った。家庭向けの医学書にも、まれにそうなると書いてあった。でもこの時は、それほど気にとめていなかった。(鈴木彩子)

2 冠動脈に瘤 年々悪化

 さいたま市の望月桂さん(48)は、15年前の8月、川崎病にかかって入院した長男の隆太郎さんの熱が下がり、一安心していた。誕生日が来て、「隆ちゃん」は4歳になった。
 退院が近づいた9月、心臓の超音波検査(心エコー)を受けた。炎症で血管の壁の弾力性が弱くなった影響で、心臓を囲んで心筋に栄養を送る冠動脈が2カ所、膨れていた。事前に医師から聞いていたから「ああ、やっぱり出たな」と思った。
 冠動脈が膨れても1カ月ほどで治まる人も多い。退院して、血栓の予防薬アスピリンを飲みながら週1回、心エコーを受けた。でも、膨らみは、1カ月たっても治らなかった。
 紹介状をもらい、今度は埼玉県立小児医療センター(さいたま市)を訪ねた。12月、脚の付け根の血管から細い管を入れて冠動脈の状態を調べる心臓カテーテル検査を受けた。すると、心臓の右、左前、左後ろを走る3本の冠動脈のうち、「左(ひだり)前下行枝(ぜんかこうし)」に6~11ミリの大きな瘤(こぶ)があった。右の冠動脈にも、中くらいの瘤があった。
 瘤があると、血栓や、血管が狭くなるなどで、心筋梗塞(こうそく)が起きる恐れがある。薬を毎日飲むよう、医師から説明を受けた。
 血を固まりにくくするワーファリンなど、3種類の薬を飲み始めた。小さな粒状のパナルジンは、まずい薬だった。水に溶けずざらざらと舌に残る。チョコレートソースや練乳などにまぜて、飲ませた。
 隆ちゃんに自覚症状はなく、元気に過ごしていた。1999年の春、小学校に入学した。持久走など激しい運動以外は、体育の授業もみんなと一緒に受けた。でも、冠動脈の状態はじわじわと、悪化していた。
 11月、3回目のカテーテル検査を受けると、大きい瘤の手前の血管がひょうたんのようにくびれ始めていた。「成人なら手術する状態」だった。3年生の冬、血管はさらに狭まり、「今後はかけっこも控えて」と言われた。なわとびもダメという。
 「これじゃ何もできません」と循環器科の主治医、小川潔(おがわ・きよし)さん(57)に訴えた。セカンドオピニオンについても相談した。小川さんは、川崎病の病後の血管障害の治療に詳しい日本医科大(東京都)を紹介した。

3 術後9年 笑って話せる

 さいたま市の望月桂さん(48)は2002年2月、小学3年生だった長男の「隆(りゅう)ちゃん」と、日本医科大を受診した。隆ちゃんの冠動脈には瘤(こぶ)があり、血管の一部が狭くなっていた。
 心筋に血液が行き渡っているかを調べる検査や、運動負荷をかけての心電図検査、心エコー検査などを受けても、明らかな異常は見られなかった。
 ただ、心臓の前を走る左前下行枝にできた瘤は大きく、その手前の血管がふさがりかけていた。循環器が専門の小児科教授、小川俊一(おがわ・しゅんいち)さん(61)は、より詳しい検査を提案した。
 4年生の夏、先端にセンサーがついたワイヤを冠動脈に通して、血流の速度や圧力などを調べた。その結果、運動などで心臓に負荷がかかると血液が速く流れず、心筋に行き渡らなくなる恐れが高いと分かった。
 小川さんは「そう遠くない時期に」と手術の話をした。瘤のある血管の形や壁の厚さから、風船などで血管を広げるカテーテル治療より冠動脈バイパス手術が適していると考えていた。
 「やっと先が見えた」と思った。「出来るだけ早い時期に」と希望すると、すぐ日程が決まった。10月末に手術を受けた。
 心臓血管外科教授の落雅美(おち・まさみ)さん(63)が執刀した。胸を縦に開き、心臓のすぐ近くを走る「内胸動脈」という太さ1ミリほどの血管を、流れが悪くなった左前下行枝に縫い合わせ、迂回(うかい)路を作る。一時的に心臓を止める約3時間の手術だった。
 手術後、目を覚ました隆ちゃんは、開口一番「い、痛い」。はっきりと意識があった。
 経過はほぼ順調で、3週間余りで退院した。
 手術の半年後、カテーテル検査で冠動脈の状態を調べると、つないだ血管から脈々と、血が流れていた。血を固まりにくくするワーファリンを卒業した。皮下出血して青あざだらけになる心配も、いらなくなった。
 それから9年。血栓を予防する別の薬は、今も毎日飲んでいる。定期的に検査にも通う。小学生だった隆ちゃんは、19歳の「隆太郎さん」になった。昨年から調理助手として働く。
 胸のX線を撮ると、手術の際に骨を留めた針金が写るという。「僕の体は筋金入り」と隆太郎さん。今は笑って話せる。

4 治ったはずだったのに

 京都府の会社員池田恭久(いけだ・やすひさ)さん(38)は2010年7月の夜、自宅で心臓をわしづかみにされるような痛みに襲われた。急性心筋梗塞(こうそく)だった。とっくに「治ったはず」の川崎病が関係しているなんて、思っていなかった。
 3歳のころ、首のリンパ節が痛みだし、高熱と発疹が3日以上続いた。母春美(はるみ)さん(64)に連れられて府内の病院に行くと、川崎病と診断された。
 薬の点滴などを受け、1カ月半入院して自宅に戻ったが、心臓を取り囲む左右の冠動脈の根元に、巨大な瘤(こぶ)が残った。右の瘤は直径1センチほど、左は長さ3センチ、幅2センチほどあった。「いずれ手術をしなければ、生きられない」と言われた。
 薬を飲み、定期的に心臓カテーテル検査を受けながら、様子を見ることになった。
 心臓に危険な瘤を抱えているという認識は、幼い恭久さんには皆無だった。自分では痛くもかゆくもない。母の心配をよそに、友達と外を駆け回り、自転車で遠出もした。小学生になってからは、体育の授業も運動会も、思う存分楽しんだ。
 6年生のころ、いつものように検査を受けると、瘤の先の血管が数カ所狭くなり、一部、血が流れにくくなっていた。
 医師は「手術せんとあかん」と、冠動脈のバイパス手術を多く手がけていた奈良県立医科大病院を紹介した。
 「なんでやろ?」。手術と聞いてもピンと来ないまま1月、電車で2時間以上かけ、病院がある奈良県橿原市に向かった。
 心臓血管外科の北村惣一郎(きたむら・そういちろう)さん(71)=現・国立循環器病研究センター名誉総長=が主治医になった。10日後、詰まりかけた冠動脈に、別の血管を3本つなぐ手術を受けた。
 手術室は、とても寒かった。「絶対起きててやる」と頑張ったけれど、手術用の無影灯がついたところで、眠りに落ちた。
 子どもの冠動脈バイパス手術は、当時はまだ珍しかった。北村さんは、心臓の近くを走る2本の内胸動脈に加えて、左脚から取った静脈を使って血管をつないだ。8時間に及ぶ大手術だった。
 「気がついた?」。手術後、目を開けると春美さんの顔が見えた。「俺、生きてんのや」。ほっとしたら、泣けてきた。

5 通院必要だった、心底思った

 川崎病の後遺症が残った京都府の池田恭久さん(38)は、小学6年生の冬、冠動脈に別の血管を3本つなぐバイパス手術を受けた。1カ月で退院した。
 春、中学生になった。手術のことはよく分からず、「もう治った」と思っていた。でも野球やサッカーなどの部活動は「何かあるといけない」と教師らに止められた。「しゃあない」と思ったが、悔しかった。
 術後5年ほど過ぎた高校3年生のころ、母春美さん(64)と奈良県立医科大病院に行った。主治医の北村惣一郎さん(71)の「もう心配いらんで」という言葉が印象に残った。手術がうまくいっても定期的な通院は必要だった。でも「治ったんや。これで自由や」と思った。
 高校を卒業して自動車関連の会社に就職すると、次第に病院から足が遠のいた。血栓を予防する薬はいつの間にか飲まなくなっていった。
 「そういえば、手術してからずいぶん時間がたつな」
 30歳になり結婚したころ、友人から、家族が心臓発作で亡くなったと聞いた。ほったらかしの心臓がふと気になった。
 でも、今さらどこに連絡を取ればいいのだろう。かつての病院に電話をするにも、何科に何と説明をすればいいか分からず、そのまま6年が過ぎた。
 2010年7月の夜、自宅でビールを飲みながら妻(34)とテレビを見ていた。何げなく立ち上がった瞬間、心臓に激痛を覚えた。5分たっても、痛みがひかない。「もしや……」。妻の運転する車で、近くの病院の救急外来に駆け込んだ。
 すぐに冠動脈の造影検査を受け、画像を見て絶句した。「これが俺の血管?」。12歳の時、冠動脈につないだ血管の一つ、左脚から取った静脈が傷み、血栓ができてつまっていた。
 幸い、血栓を溶かす薬を点滴すると血流が再開。その後、かつての主治医だった北村さんが籍を置く、大阪の国立循環器病研究センターに転院した。8月まで入院して、仕事に戻った。
 再手術には至らず、今は抗血液凝固薬などを毎日欠かさず飲んでいる。年に数回は、同センターの小児循環器科に通う。
 「今思えば、通院は続けなあかんかったんやな」。命拾いした今、心底そう思う。

6 情報編 後遺症ある人は検査を

 川崎病は、全身の血管が炎症を起こす病気で、主に4歳以下の子どもがかかる。病名は発見した小児科医、川崎富作さんにちなむ。報告から40年以上たつ今も、原因はわかっていない。
 5日以上続く発熱、大小さまざまな発疹、両目の充血、舌や唇の真っ赤な腫れ、手足の腫れ、リンパ節の腫れの六つが主な症状で、これらが当てはまると川崎病と診断される。
 かかる人は増えている。川崎さんが理事長のNPO法人日本川崎病研究センターによると、2010年は約1万2800人と、20年前に比べ倍増。罹患(りかん)率は発症数が突出した過去3回のピーク時を超え、調査開始の1970年以降、最高だった。
 治療は、炎症を鎮める血液製剤の免疫グロブリンを、短期間に大量に点滴する方法が一般的だ。多くの場合、数日間で熱が下がり、快方に向かう。退院後1~2カ月ほど、血栓を予防するアスピリンを飲み、問題がなければ、治ったと判断される。
 発病後、約9%の患者に、冠動脈の膨らみや瘤(こぶ)などがみられる。うち3分の2は一過性の症状で、1カ月以内に治まり治療を終えることができる。
 残る3分の1には1カ月後も膨らみや瘤が残る。血栓ができたり、血管が狭くなったりするなど心筋梗塞(こうそく)を起こす恐れが高い場合、カテーテル治療や冠動脈バイパス手術の対象となる
 バイパス手術には、体とともに成長する内胸動脈が使われる。かつては脚の静脈も使われたが、治療成績が悪いため、現在は子どもには用いない。
 こうした冠動脈の異常が残った人は、生涯、定期的な検査や服薬が必要になる。しかし近年、服薬や通院が続かなくなる「ドロップアウト」が問題になってきた。患者本人に自覚症状がないため、進学や就職、引っ越しなどをきっかけに、病院から足が遠のくことが多い。
 患者会「川崎病の子供をもつ親の会」の浅井満代表は「30、40代で心筋梗塞を起こし、命を落とした人もいる。後遺症のある人は、検査を続けてほしい」と話す。
 服薬や通院をやめて時間がたち、受診先に迷う場合、「まずは幼いころに通っていた小児科に連絡をとってみて」と、日本医科大の小川俊一教授はアドバイスする。(鈴木彩子)